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2011年 02月 20日
小説『幻の峠』
(あらすじ) 201X年、夏。信州のパスハンティングを楽しむDOI氏は、二万五千図に載っていない一本の坂道に出会った。ところが道を登るにつれ、周囲の風景が地図に示される地形と全く合致しない事に気付く。不穏な気配を感じ取った彼は、何かに押されるように来た道を引き返したのだった・・・。 同じ頃、東京の河っち氏はサイクリスト仲間からある峠の噂を耳にする。 ≪信州のどこかに、老サイクリストの間で語り継がれる峠があるらしい。伝説の峠と呼ばれるそのルートは、緩やかな登りと適度なダート、タイムスリップした様な峠の茶屋もある。水場に溢れる名水は疲れをたちどころに癒してくれ、無論、峠の眺望も抜群。貧脚・健脚を問わず、いかなるサイクリストも満足させる夢のようなサイクリングコースらしい・・・≫ その峠にアタックしようとした彼は情報収集を試みるが、ネット上ではガセネタしか集まらない。所詮デマかと諦めかけた矢先、師匠の青レンガ氏の言葉からその峠の実在を確信する。具体的な情報の入手は困難を極めるが、日本サイクリング界の重鎮、T爺氏が実際にその峠を踏覇したした事を突き止めるのだった。“伝説の峠”について尋ねる彼に、T爺氏は口ごもる。 『まだ、話せる時期ではない・・・。』 河っち氏から相談を受けたC.T.誌の田村編集長は伝説の峠を記事にすべく、国会図書館に日参して調査を試みるが、ようやく探し出した資料は閲覧禁止。その頃から彼の身の周りで不可解な事件が起こり始め、揚句に記事の掲載を中止せよとの出版社上層部からの通達を受ける。 (サイクリストとして、何としてもその峠にアタックしたい!) 熱い想いに駆られた河っち氏は、強い絆で結ばれた自転車仲間の力を借りて、彼らと共に伝説の峠に挑む。遂にその所在を確認するも、彼らの前には想像を絶する困難が待ち構えていたのだった・・・。 くりくり氏率いる日本中から集まったサンジェ部隊!地黒団子奈会長の号令の元、全員集結する十速会のメンバー!出発ギリギリに北海道から駆けつけるnuma氏!果たして彼らは伝説の峠に立つ事が出来るのか?そしてその峠に隠された秘密とは?! ≪主な登場人物≫ 河っち氏 新車のTOEIランドナーで伝説の峠に挑む本編の主人公。彼の熱意はやがて日本中のサイクリストの心を動かす事になって行く。 GAMI氏 仲間達のメカニカルアドバイサー。弱気になりがちなメンバーの心の支えともなる存在。峠への遠征部隊のメカトラブルの際には『こんなこともあろうかと』、バッグのどこからか現行パーツを取り出して万全の補修を行うのだった。 ぬうぼマン氏 ネットでは集められない情報を提供する、頼れる後方支援部隊長。膨大な古書から集められるその情報量は国会図書館をも凌駕する。 あ~る氏 『お守り代わりに』と、メンバー全員に特製スペシャルバッテリーランプ(チタン製)を手渡す。峠まであと一歩の所で迎えた最大の危機の中、このランプが全員の命を救う事に! さんつあ~ひ~ろ~氏 “伝説の峠”にアタックすべく、密かに組んでいた黄金色の車体“ALPS・スペシャルクライマー”で参戦。峠の途中で迎えたトラブルの際、救援を求めて一時下山する。剛脚を回す彼は再び皆に追いつけるのか?! ボンド75氏 得意のダジャレで皆を和ませるムードメーカーだが、実は中央政府に太いパイプを持つ関西経済界の大物。伝説の峠へのアタック実現の為に、蔭ながら尽力を尽くす。 koko氏 “伝説の峠”について、早くからその存在を気にかけていた東海の雄。河っち氏とタッグを組み、峠への遠征部隊をまとめる重要な役割を果たす。 齊藤電鉄ryu氏 メンバーの輪行の乗り換え時間を確認作業中、時刻表の中に隠されたメッセージを発見、これが峠の“真の所在地”を発見するきっかけとなる。 ddm氏 唯一人、DDペダル(デオーレ)搭載の車体で参戦。メカトラのリスクを負いながらもその有効性を実証し、これが後に〇マノにDDペダル再販のきっかけを作る事になる。 yukimaru氏 (まさか、あの噂は本当だったのか・・・!) 自転車少年時代に耳にした“伝説の峠”。河っち氏達の活動を知った時、かつての記憶が蘇る。夢を叶えるべく、再生して間もないエンペラーに跨り“伝説の峠”を目指す!心配を隠しきれない娘と幼い孫達だが、彼の決意は揺るがないのであった。 『大丈夫!ジイジは必ず帰って来るよ!』 赤鬼亭主氏 関東在住のベテランサイクリストで、若きサイクリスト達にとっては父親的存在。かつて伝説の峠を踏破した5人のサイクリストの一人。その事実は隠し続けていたのだが、河っち氏の情熱に押され、遂にその秘密の一端を明かす。しかし峠アタック決行のその日、集合した仲間の中に彼の姿は無かった。伝説の峠に隠された秘密を胸に秘め、深く葛藤する彼が取った行動とは・・・? 大長氏 『自転車はWレバー!STIなど認めん!クロモリ以外はバッタ物!』という信念を頑なに崩さない、愛すべき自転車野郎。初心を心に刻むべく、伝説の峠アタックに皆の反対を押し切って4サイドのアトランティスで挑む。頑固な彼を制御できるのは奥さんしかいないのか?!二人三脚の峠越えの火ぶたが切って落とされる!! mako10氏 現行パーツをまとった青いラバネロを駆る若きシクロツーリスト。口数は少ないが、内に秘めたる闘志は周囲のおっさんメンバーに引けを取らない。峠アタック直前に膝を痛めるが、その事を誰にも告げずにペダルを踏む。 (膝よ、峠のてっぺんまで持ってくれ!) 彼の祈りは天に届くのか?! ・ ・ ・ ・ T『・・・あのさあ相棒、さっきから一体何を書いてるの?』 J『小説だよ、小説。実在する知り合いの皆さんを登場人物にしたフィクションだけど。』 T『いいのか?勝手にそんな事して。最近ちょっとワル乗りが過ぎて無いか?』 J『うーん、そうかも。まあ、お叱りを受ける様なら直ちに削除する事にしよう。』 T『それにしてもこの小説、本当に面白いのかなあ。』 J『自分じゃ結構イケてると思うんだけど。涙を誘う場面もあるんだぞ。マキネエさんも登場 するんだけど、峠遠征の日程がブルベと重なるんだよね。スーパーランドナーの称号が 掛った最後のブルベ。悩む彼女を、優しい目で後押しする夫のりゃんしばさん。 暖かく燃える夫婦愛!』 T『あのー・・・』 J『りかの配偶者さんは峠での決定的瞬間をとらえるカメラマン役兼任。ボードマンさん は出発までに42Bランドナーの組み上げがギリギリ間に合うかどうか、という所が 見せ場かな?うっけり夫婦のお二人は、峠のてっぺんで史上最大のうっけりが 爆発だあ!』 T『って事は、他の人達も登場するの?』 J『勿論!知り合いの方々は全員登場予定。勿論ご本人が迷惑なら止めるけど。うーん、 これでどっかの文学賞、取れないかなあ?』 T『無理だって!悪い事は言わん、止めとけ。時間の無駄だし、もっと生産的な事に エネルギーを傾けようよ。』 J『そっかー・・・。じゃ、仕方無い。テーマを変えて書こうか。タイトルは“ツヨシの初恋”。』 T『止めろーっ!!』 (終り) と言う訳で、ワル乗りの極みをやっちゃいました。不快な方がお一人でもいれば、今回は丸ごと削除する事にしますのでご容赦下さいませ。 なお本件にコメントを頂いた方で、まだ本文中に登場していない方は後ほど必ず『登場人物紹介』に勝手に追記させて頂きます(笑)。(*拒否の意思表示された方は除きます)。ご希望の役どころがありましたら合わせてコメント下さいませ。あ、勿論こんな小説を本当に書いている訳ではありませんので念の為!(書けませんって・笑!) #
by james_y1964
| 2011-02-20 04:14
| 『書斎にて』
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2011年 02月 13日
御前崎のアルバム(後編)
アルバムをめくるジェームス吉田(J)と、質実剛健号(通称ツヨシ・T)。御前崎の思い出話は続く・・・ したんだよな。』 T『あっ、ウェイファラー号だ!』 J『マキネエさんとこの“お嬢”だな。詳細は自転車屋中嶋さんのHPで紹介されている。 一昨年のTOMで一度お目にかかったことはあったけど、女性らしくてすごく綺麗な 自転車だね。』 T『うん、本当に美しかった・・・・。』 J『・・・?』 T『もうちょっと雲が少なかったらよかったんだけど。』 J『贅沢言ったらいかんよ。わたしゃこれでも大満足。』 御前“崎”だけど、灯台の名前は御前“埼”灯台なんだって。』 T『そうなんだ!』 T『民宿聖火さん、お世話になりました!』 T『このトンネルも雰囲気満点で、皆さん記念写真を撮ってたね。』 J『駿遠鉄道は十巻まで出たJTBの“鉄道廃線跡を歩く”の、第一巻で早速紹介 されている。廃線マニアには有名な路線跡らしい。』 T『この廃線跡をサイクリングするだけでも楽しそうだな。』 T『二日間とも、トイレ休憩=自転車談義タイムだったぞ。』 J『個性の強い自転車ばっかりだったから、特に女性陣の自転車が。』 T『そういや、ウェイファラー号の写真はもう無いのか?』 J『ん?ウェイファラー号がどうかしたか?』 T『いや、別にどうもしないけど・・・』 T『この絵は受けたなあ!皆さんカメラを構えてたもんね。』 現存する最古の機会堀りのヤグラ。』 T『“油井”の読み方、帰ってから調べたんだろ?ずっと“ゆい”って読んでた癖に。』 J『バらすなよ!』 T『ランチタイムの写真は?』 J『とっても美味しいお弁当を食べるのに夢中で、写真を撮るのを忘れました。』 T『ちなみに俺の後ろに写っているのは、田村編集長の自転車だね。』 J『うん、旅する自転車の本Vol.1の作例で登場した、ブルーのランドナー。 良い意味で、現行パーツランドナーのお手本の様なマシンだった。』 T『詳細は、旅する自転車の本Vol.1をご覧ください(コマーシャル)。』 ものだけど。後で色々勉強したら、本当は小山城には天守閣は無かったんだって。』 T『え?そうなの?』 J『いわゆる模擬天守で、展望台兼博物館らしい。』 T『そうは言っても相棒、本当は上まで登りたかったんだろ?』 J『・・・うん。』 地点、大井川に掛る蓬莱橋。主催者のくりくりさん、サポートしてくれたメンバーの皆さん、 二日間ありがとうございました!改めてお礼申し上げます。』 T『なあ相棒、ウェイファラー号・・・じゃなかった、マキネエさん達の写真はもう無いの?』 J『ん?何かおかしいなあ。さっきからウェイファラー号の事ばっかり気にしてないか? ひょっとしてオマエ、彼女の事を・・・』 T『ばっ、馬鹿言うなよ!なな、何で俺が彼女の事を!彼女はマキネエさんと一緒に りゃんしばさんの所へ嫁いで行ったんだぞ!なのに何で俺が・・・』 J『何をそんなにムキになってるのだ。』 T『ムキになんかなってない!第一俺はもうすぐ結婚するんだから、そんな事を考えたり する訳無いじゃないか!下らない事を言ったら彼女に失礼だぞ!もうそんな話をするのは 止め!さあ、次のサイクリングの準備をしなくちゃ!』 そう言ったきり、ツヨシは口を閉ざしてしまった。PCの電源を落とす私は、しかし彼の微かな呟きを確かに聞いたのである。 『・・・サヨナラ、お嬢。』 (この項、終り) *ウェイファラー号に関しての記載は、オーナー・マキネエさんからの了解を得て執筆させて頂きました。マキネエさん、快諾頂きありがとうございました。 #
by james_y1964
| 2011-02-13 13:11
| 『書斎にて』
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2011年 02月 12日
御前崎のアルバム(前編)
念願の御前崎オフから帰って来たジェームス吉田(J)と、質実剛健号(通称ツヨシ・T)との会話。あれから一週間、余韻はまだまだ冷めないのであった。 T『楽しかったなあ。』 J『評判通り、いや、それ以上に内容の濃いオフ会だった。くりくりさんやサポートしてくれた メンバーの皆さんのおかげだね。』 T『それにしても、何で今まで参加出来なかったの?』 J『仕事の都合もあったけど、何より遠方だから到底参加は無理だと思ってた。今回だって kokoさんに助けて貰わなかったら、かなり厳しかったと思う。』 T『輪行はまだしも、駅から集合・解散地までの行き帰りに無理があっただろうね。 それにしても・・・相棒が如何に輪行が苦手なのかが、よーく分かった。』 J『長年、アルプス式輪行をしていたつもりだったんだけど、どうやらデタラメだった様だ。 というか、何も考えて無かった。解散後の分解をデモ鳥さんや地黒団子奈さん達に 手伝って貰って、正しい収納方法がある事を初めて知ったんだ。お手を煩わしてしまった 皆様、改めてお礼申し上げます。』 T『サイクリストたるもの、輪行やパンク修理に人の手を借りるのは恥だって、常々公言して なかったっけ。』 J『面目無い。そういう訳で、初心に帰ってキチンと勉強する事にした。テキストはコレ。』 T『田村編集長、買いますからねー。』 J『これで“日本一輪行がヘタクソなサイクリスト” の称号は返上だ!』 T『なんとも情けない称号だな。』 T『ところで、写真はちゃんと撮ったのか?』 J『まあ、一応。いつもの事だけど、私は楽し過ぎると写真を撮るのがついつい疎かに なるのである。おまけにセンスも技術も無い。』 T『何だかなあ・・・とにかく見せて貰おうじゃないの。』 J『瀬戸大橋線って言わないと、東日本の皆さんには分からんぞ。』 T『乗換3回、三河安城の駅前のホテルで前泊したんだよね。JRの移動だけで ジャスト5時間かかったっけ。』 J『で、翌日kokoさんに車で迎えに来てもらって。それにしても静岡は遠かった!』 J『ブリーフィング直前に撮った写真だな。もう早速、テンション上がりまくり。とにかく 暖かいのには驚いた。』 T『相棒、スキー手袋なんか持って来てたのにね。』 J『結局、一日素手で走ったんだよな。』 T『あえて直付けじゃないGC450がシブかったね。』 T『11速車だろ?皆の注目の的だったなあ。』 景色だね。』 T『うんうん、生で見ると感動もひとしお。』 T『殺す気かーっ!』 T『ここも旧東海道なんだよね。』 J『十速会の地黒団子奈会長は、ここをF40×R23Tで登り切ったらしいぞ。』 T『す、凄い!じゃあ相棒も次の機会は・・・』 J『多分一生無理。』 T『馬の代わりに自転車だけど。』 J『シンプルなお弁当だったけど、それがまた美味かった。』 J『で、これが今回のご当地本。帰りの新幹線の中で あっという間に完読しました。』 T『相棒、好きだねこういうの。』 J『この本を読めば、小夜の中山のすべてがわかる!』 T『ウルトラマン大百科じゃないんだから。』 T『無理無いよ。泥除け付き自転車がこれだけずらりと並んだ景色は、滅多にお目に かかれないから。』 J『立派な庭付きのお屋敷でした。ここでお茶のお土産を買ったんだ。』 初めてだったっけ?』 T『そうそう、太平洋デビュー。瀬戸内海とは全然違うね、波の立ち方とか。感動したぞ。』 J『それにしても、オマエは山岳コースの風景には溶け込むけど、こういう海沿いの風景には 全然似合わんなあ。』 T『悪かったな!』 T『走り易い道だったしね。』 J『うんうん、すごく良いコースだった。でっかい発電用の風車も迫力あったし。』 T『右手に広がる太平洋はひたすら雄大で、ああいう風景は香川県じゃ見られないなあ。』 T『カッコいい自転車だったなあ。現行パーツと革サドルのマッチングが素敵だった。 美しいだけじゃなく、実用性にも凄く拘ってるんだよね。』 J『いろんな意味で、大いに勉強になった。私も一台、現行パーツ車が欲しくなったぞ。』 T『先立つ物があれば、だろ?』 T『レンタルDVDが貸し出し中だったって?』 J『くりくりさんには“なにもそこまで気合いを入れんでも”って言われた。』 T『あはは。相棒、いつも形から入るから。』 T『憧れの歓迎看板だったんだよね、これ。』 T『あれ?宴会の写真、これだけ?』 J『言っただろ、楽し過ぎると写真が少なくなるって。』 T『・・・よっぽど楽しかったんだな。』 T『相棒、これが食べたかったんだよね。』 J『わざわざ焼いてきてくれたんだよね、私だけの為に。』 T『うーん、ちょっと違う気もするけど・・・』 J『結局宴会終りまで参加させて頂きました。滅多に無い機会だから嬉しくて。』 T『翌日は10速会の早朝ランに参加するのに、随分と夜更かししたんだなあ。』 (後編に続く) #
by james_y1964
| 2011-02-12 05:03
| 『書斎にて』
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2011年 01月 30日
一人たたずむプラットフォーム
底冷えのする書斎。PC画面を眺めながら溜息をつくジェームス吉田(J)と、退屈を持て余している質実剛健号(通称ツヨシ・T)との会話。 T『遠い目をして、何をたそがれてるんだ、相棒。』 J『ちょっと、な。プラットフォームの事を思い出してたんだ。昔は色々あったものなあ・・・』 T『駅のホームで別れた彼女の事?切ないねえ・・・BGMは山下達郎か。』 J『違う!駅じゃなくて、ペダルだよ。プラットフォームペダル。』 T『そっちかい!』 80年頃のサイスポ記事『新春覆面大座談会』より抜粋。こういうのが知らず知らずのうちにトラウマになっているのであった。それにしても、ビンディングペダルが普及した今となっては隔世の感が。 J『実はパスハンについて色々考えている内に、プラットフォームペダルを真面目に検討 しようかな、と思う様になったのだよ。』 T『普通の靴でペダルのプレートを踏んでたら足の裏が痛い、って事だな。そういや相棒は、 意地でもビンディングペダルは使わないってポリシーだったっけ。』 J『うむ。旅するサイクリストは自転車から降りて散策する事も重要なファクターと考える のである。足の裏に余計なものが付いているのは許せないのである。』 T『最近の靴は、ほとんど気にならないらしいけど・・・』 J『嫌なものは嫌なのである。』 T『分かった分かった!』 T『ところで俺のペダルは典型的なクイル型なんだけど。』 J『オマエはいいの。ある程度スタイル優先な部分は残しておきたいからね。』 J『ところでそのプラットフォーム型ペダルなんだけど、意外と少ないんだ。』 T『そうなのか?結構色々あるみたいだけど。』 J『私の使い方と好みに合うものが少ない、という事だ。ほとんど無いと言ってもいい位 でね。そう言う訳で、消去法で選んでいこう。まず最初に却下されたのはこれ。』 却下その1:リオター(レオタード)プラットフォーム23 T『出たな、プラットフォームペダルの代表格。しかしいきなり却下か。』 J『これは昔、少しだけ使った事がある。鉄で重くて精度が悪い、って事はよく言われるんだ けど、それ以上に強度が無い。何せ走っている最中にカシメが緩んで空中分解したもの なあ。私の中ではあれ以来、あくまでコレクターズアイテムのクラッシックパ-ツという 位置付けになった。』 T『じゃあ、アレは?これと同じデザインで、某工房が作ったステンレス製オリジナル ペダル。中々手に入らないらしいけど。』 J『アレは止めておこう。あくまで選択肢は“市場に出回った一般製品”の中という事にして おきたいから。オークションに出てきても、きっと数万円は下らないだろしね。あまり現実的 じゃないよ。』 T『確かにそこまでいったら、もう床の間パーツだな。』 却下その2:MTB用ペダル J『ヤフオクでプラットフォームって検索を掛けると、こういうペダルがずらりと出てくる。』 T『うーん、確かにプラットフォームには違いないんだろうけど・・・』 J『こんなのをクロモリのツーリング車に付ける気はしないなあ。で、ぜーんぶ却下。』 却下その3:カンパ他、一連のエアロペダル T『あれ?これってプラットフォームペダルになるの?』 J『違うかもしれんが、まあ一部とは言え“面”で靴を受けるって事でね。却下の理由は、 使うトウクリップが特殊な点。専用クリップの入手に苦労するのは、デュラのDDぺダルで もう懲りた。同じ理由で、三ヶ島のエスクウォーツやシマノの三角ペダルも却下。』 T『純レース用だから、デザインもツーリング向けって感じじゃないな。』 J『それもあるしね。』 却下その4:シマノ・デオーレDDペダル T『あれ?このあいだ、このペダルを絶賛してなかったっけ?却下の理由はやっぱり 互換性か?』 J『それもあるけど、涙を飲んで却下した本当の理由は、このペダルにはまだ熟成の余地が 大いにあるって事だ。回転部の強度の問題は解決されていないし、個人的には無駄とも 言える機構もある。』 T『まだ未完成って事か。』 J『それが魅力でもあるんだけどね。しかし“ペダルの上で靴が滑る”というプラットフォーム ペダルの欠点を踏み面のデザインで解決している点は、他のどのペダルよりも優れている と思う。バージョンアップした完成形が出たら、ぜひ検討したいものだ。』 却下その5:三ヶ島GR-9 T『これは現行品だな。しかしそれを却下なんて失礼じゃないのか?』 J『三ヶ島さん、ごめんなさい。あくまで個人的好みの問題ですのでご容赦を。』 T『・・・理由はやっぱり、デザインか。』 J『その通り。いくらなんでもこれじゃあ愛想が無さすぎるよ。ペダルキャップも安っぽいし。 シルバンの方が数倍高級感がある。』 T『シルバンの方が高いんだけど。』 J『あれ?そうだっけ。・・・とにかく、もうちょっと意匠に工夫が欲しかったなあ、これ。』 T『しかしここまでふるいにかけたら、もう残っていないんじゃの?』 J『ふふふ。そう思うだろう?実は一つだけ残っている。私の思い描く理想のプラットフォーム ペダル、それはこれだあ!』 本命:サカエSP-11 T『・・・こんなペダルがあったのか。』 J『どうだ、いいだろう。これぞプラットフォームってデザインな上、一般的なトウクリップも 使える。サカエが生んだ名パーツだぞ、これは。唯一の欠点は高級感が無いって事 だけど、デザインがそれを補って余りある。実は私のお気に入りのペダルなんだ。』 T『どうでもいいけどこのサイスポの記事、いったい何時頃のものなんだ?ニュープロダクツ レビューってあるけど。』 J『痛い所を突くなあ。30年前だ。だからこのペダル、もう入手困難なのである。』 T『・・・・』 J『何年か前、新品がヤフオクに出た事があった。その時は7千円まで値が上がって、金欠 だった私は諦めたんだ。惜しいことしたなあ、今なら迷わず買うぞ。』 T『じゃあこれが相棒の思い描く究極のプラットフォームペダルな訳だな。』 J『そうなんだけど、実は最近、もうひとつ気になるペダルの存在を知った。それはこれ。』 本命その2:サンツアーサイクロン7000 J『これはプラットフォームペダルとは呼ばないんじゃあ・・・』 T『確かにそうかもしれんけど、前プレート部が平面になっている上に、プレートがサイドに 大きく広がっている。幅の広い靴を使うには、サカエのペダルより快適かもしれない。 本体とプレートが一体型だから、ガタの出る心配も無いし、一般的なトウクリップも使える。 デザインはちょっとレース用にシフトしてるけど、中途半端な所がかえってツーリング用の 香りがしないか?』 T『そんなもんかねえ・・・しかしサンツアーのぺダルって事は、もう売って無いんだろ?』 J『うーん、そうなんだよなあ。サイクロン7000っていったら、87年頃だと思う。おまけに このペダル、あまり売れなかったのか、ヤフオクにも中古意外は滅多に出てこない んだな。』 T『結局無い物ねだりか。』 J『それを言われるとツライ。けど余程派手な転倒をしない限り、ツーリングユースだと一生 使えると思うぞ。1セットあればいいんだから、気長に探していきたいね。』 #
by james_y1964
| 2011-01-30 09:38
| 『書斎にて』
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2011年 01月 23日
番外編・ライバル・シマノが生んだ名パーツ列伝/前編
サンツアー全盛期の80年代前半、ライバルとしてしのぎを削っていたシマノは、数々のユニークなパーツを生み出していた。レーシングパーツ一辺倒になってしまった現在のシマノからは想像もつかないが、その中には歴史にうずもれさせるには惜しい逸品も少なくない。当時を知るサイクリストが少なくなった今、思い出を交えて語ってみよう。 (1)デオーレDDペダルの伝説 1980年、春。シマノ発表した新コンポーネントを紹介する記事がサイスポに掲載された。フランス語で鹿を意味する、その新コンポの名はDEORE(デオーレ)。レーシングメカとの境界があいまいだった既存の600EX等と異なり、ツーリング用としてのコンセプトを明確にしたコンポーネントである。若い方にはMTB用パーツと思われがちだが、初代デオーレはまぎれも無く、旅用自転車の為に生み出されたコンポだったのだ。 とシマノ側が説明するように、ツーリング専用ではない。”とあるが、 シマノの総合カタログではしっかりツーリングメカとしてカテゴライズ されていた。ちなみに、同時期にサンツアーはこちらもツーリングメカ・BLを 発表している(ディレーラーセットのみ)。 コンポの内容は、ディレーラーセット(Fメカ・Rメカ・Wレバー)、チェンホイール(チェンリング・クランク)そしてDDタイプのペダル。それぞれに新しい工夫が織り込まれており、今見ても非常に興味深いものがある。が、今回はその中でも一際異彩を放ったペダルのみを取り上げる事にする。 装着できない。 (左)上記サイスポ記事より、ペダル紹介文。(下)デオーレが評判になっていた頃のサイスポ記事より。当時のサイクリストに与えた影響が決して小さいものでは無かった事を伺わせる(記事中の矢印は誤植・デオーレは下)。 このペダルに盛り込まれた数々のアイデアについては、上記サイスポ記事を参照頂きたい。特筆すべきは、やはりDD(ダイナドライブ)システムと呼ばれたその形状だろう。 エアロダイナミクスに取りつかれたシマノはこの時期、空気抵抗減少を目指した独特のスタイルのペダルを生み出した。それがデュラエースEX・DD(後にデュラエースAXおよび600AXに発展)と、デオーレである。前者が純レース用だったのに対し、デオーレはツーリングメカであった為、そのセールスポイントは空気抵抗よりも、むしろ色々と織り込まれた“ツーリングメカとしてのギミック”であったと思う。 しかしそんな細かいギミックよりも、“踏面がペダルシャフト中心線上になる”というDDシステムこそがこのペダルの最大の特徴であり、当時のサイクリストが採用した理由もそこにあったのではないか。少なくとも私は、デオーレDDペダルの魅力はその一点に尽きると考えている。エアロ効果も重量も、このペダルには大した問題では無いのである。 全く互換性の無いDDペダルを、当時シマノは本気で普及させる気だったのだろうか。無論、開発スタッフはそうだっただろうし、エアロブームの仕掛けが大失敗に終わる以前のシマノの貪欲な企画力からしてみれば、私は本気だったと考えたい。実際、当時多くのマスプロメーカーがデオーレDDペダルを採用しており、そこからシマノの営業陣の力の入れ様が伝わってくるのである。 デオーレDDペダルが正しく評価されていた事は、マスプロ車のみならず、一部オーダー車に採用されていた事からもうかがえる。DDペダルを使う為にはデオーレ純正クランクと組み合わせるしかないが、このクランクはTAのチェンリングと互換性があり、マニアサイクリストの中にはそんな組み合わせを好んでアッセンブルした人達も少なくなかった様である。 より)。解説文中の“アシックス・ガントレ(ガントは誤植)”に注目。 少し脱線するが、ここで靴の話を少しばかり。当時はデオーレDDペダルとベストマッチする靴として、アシックス・ガントレSがもてはやされていた。上記記事にもあるが、これは都内プロショップ・サイクルメイトヨシダの広告の影響も大きかったのではないか。この靴についてはまた別の機会に語る事にしよう。 サイクルメイトヨシダの広告(サイスポ広告より抜粋)。 ある時期、多くのサイクリストに支持されたデオーレDDペダルだが、静かに、そしていつの間にか市場から消え去ってしまった。互換性の無さを始めとする様々な理由で、このペダルは悲運のパーツとなったのである。 リアルタイムでデオーレを知る立場として、自ら生み出したDD規格をあっさり捨て去ったシマノに対して、当時私は正直憤りを感じたものだ。あのクランクを組み込んだ自転車は、DDペダルしか取り付けられないのである。DDペダルに惚れ込んでいたユーザーは、その消滅と共にクランクまで交換せねばならかった。フレームのスケルトンにまで拘ったオーダー車に至っては、それは少なからず乗り心地にまで影響する事になる。商業的に失敗だった事は分かるが、互換性の不利は承知の新規格だったはずだ。時代のあだ花の様な扱いとなってしまったデオーレDDペダルだが、その規格の撤退はあまりにユーザー不在ではなかったか。 デオーレが誕生して30年。私はその間、ある疑問を抱き続けていた。 (当時の愛用者達は、あのペダルにとっくに見切りをつけたのだろうか?あのペダルのコンセプトを理解し、愛したサイクリストの中に、今でもあのペダルを使い続けているユーザーはいないのだろうか?) ひょんな事から、その回答は得られた。GAMIさんの掲示板に書き込みをされたその方のお名前はddmさん。愛車アトランティスにデオーレDDペダルを今でも“(意地で)愛用”されているそうで、私は氏の書き込みを目にした時、思わずガッツポーズをしたものだ。 デオーレ開発陣が目指したものは、決して間違っていてはいなかったのである!是非、大シマノはddmさんの、そしておそらく日本の何処かで今もデオーレDDペダルを愛用しているユーザーの気持ちを汲み取って欲しい。今からでも遅くは無い。当時のクランクを復刻し、互換性を有した“新”DDペダルの開発を切に望むのである。 さて、ここまでデオーレDDペダルの長所ばかりを取り上げてきたが、短所に触れない訳にもいかないだろう。ddmさんがご自身のブログで、実に簡潔明瞭にまとめられているので、氏の了解を得た上で、ほとんどそのまま転載させて頂く事にする。 ・「重い!」 ペアで 570グラム これにトークリップ&ストラップが付く。 重いついでに言うと、輪行時に輪行用ヘッドスパナだけではなく、モンキースパナが 必要である。 *筆者注・正確にはDDペダル着脱には専用ペダルスパナの使用がベター。 しかしこれがまた重い! ・「高級感・・・。」 そんなものを求めていないが、ちなみに定価は2700円 ・「メンテナンスがし難い!」 ・「玉当りがどうしても渋くなる。」 構造上仕方ないが、力のかかる側の軸の玉当り面に 偏磨耗が出る。当時DDペダルを見かけることがあったが、他所さんのデオーレも デュラEXもゴリゴリしていたような記憶がある。 ・「軸と踏面が軋む」 軸を踏面に差し込み、リベットでカシメられているので、山奥の静かな 峠道では軋み音が気に障って、2液式の接着剤で固定を強化した。 ・「旅先でぶっ壊れたら代替品がない」 ・「もう作っていない」 これに尽きる。 “新”デオーレDDペダルを作るとなると、上記短所の幾つかは是正せねばならない。特に強度の問題は深刻だ。ddmさんは軋む程度だったが、私の大学時代のクラブ仲間は貫通シャフトと本体が完全に分離していまい、泣きながら軸だけを踏んで帰路に着くという悲惨な目に合った。 通常のトウクリップが使えると言うメリットは残したい。ノスタルジーを抱きつつ意匠はそのままに、チタンやステンレスで一体化出来ないか。ターンプレートは廃してもよいだろう。今なら高精度のシールドベアリングの採用が現実的かもしれない。 妄想は果てしなく続く。シマノ・デオーレDDペダルは、間違いなくツーリングメカの世界に一石を投じた、歴史に残る名パーツだったのだ。 (前編・終り) #
by james_y1964
| 2011-01-23 02:45
| 『サンツアーよ、永遠に』
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