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2017年 06月 18日
真鈴峠。何と美しい響きだろう。
そしてこの峠を擁する小集落、真鈴。讃岐山脈の峻険な稜線直下のこの集落は、まさに天空の村と呼ぶにふさわしい。 雲上の家々を縫って下界に至る峠道。いつしか真鈴峠は私にとって、憧れの峠になっていた。 峠の宝庫、旧琴南町。前回訪れた際には準備不足もあり、それら峠の取り付き地点に至るのが精一杯だった。満を持して、いよいよ、遂に、それらの峠を目指す時が来た。まずは憧れの峠、真鈴峠から訪問しようではないか。 さて毎度のことだが、できる事なら新しく敷設された県道ではなく、古い峠道を走ってみたい。ところが昭和7年頃の5万図を参照したところ、古道はひたすら真鈴川の沢沿いに遡上している。いくらなんでもこれではサイクリングにならない。いくつかのポイントは押さえるとして、無理せず新道を登ることにしよう。 昭和7年年頃(上)と現在(下)の峠周辺。 新道のルートは大きく変えられているのがわかる。 5月4日(木)、みどりの日。気合いの入った私のクルマは夜明け前に自宅を出発して、6時過ぎには旧琴南町明神、まんのう町美合出張所に到着。 明神地区は真鈴峠や滝奥峠、二双峠の起点で、ここをデポ地にすると具合が良い。役場(出張所)の駐車場に停め置きするのは気が引けるが、休日なのでそう迷惑にはならないだろう。 この日は真鈴峠を越えた後、三頭トンネル経由で引き返し、もう一つ峠をアタックして車中泊。更に翌日、別の峠も登るという、峠三昧の連休なのだ。もっとも寝るのはこの先にある温泉付きの道の駅で、夕方そちらに移動する予定である。 準備を整え、6時半に出発。借耕牛のオブジェがあしらわれた落合橋のたもとから、県道108号線が真鈴川沿いに峠を目指している。しかし資料によれば、その対岸の細道がより古いと思われる。はっきりと確認したわけではないが、地形からして間違いなさそうなので、今回はそちらを選択。真鈴川が明神川と合流するこの辺りは谷所(たんじょ)と呼ばれ、真鈴峠への入口になっている。 ところで、真鈴峠を擁する讃岐山脈の稜線から北側一帯には、ごく小さい集落が山裾に点在しており、これらを総称して勝浦という大字を構成している。谷所も、目指す真鈴も勝浦に含まれるのだが、琴南町誌によれば≪小集落はそれぞれ孤立していて、他の集落へ行くには、一たん山を下りて谷を渡らねばならず集落間の連絡は極めて悪い。したがって、氏神は各集落ごとに祀り、お祭りも別々に行っている。そのためか各集落ごとの団結心と協力心は強い。≫との事。 琴南町誌にはそれぞれの集落の歴史や風俗が詳細に記録されており、非常に興味深い。それを読めばすべての集落を訪問したくなる程だが、キリが無いので本稿では割愛する事にする。 谷所集落を抜けて何も無くなった沿道に、ポツンとバス停が立っている。『野田小屋口』バス停だが、野田小屋集落は県道から2㎞程入り込んだ山奥で、バス停からは影も形も見えない。おまけにバスが止まるのは上り下りとも一日一回で、更に土日祝日運休。ある意味、旧琴南町山間部の実態を垣間見た気がする。 路面状態の良い県道108号線を更に登ると、正面の山腹にへばりつくような集落が目に入った。方向から察するに、下福家(しもぶけ)集落に違いない。香川県の平野部に住む者からすれば驚くべき立地だが、徳島県山間部ではよくある風景だ。県道はその下部を通過するので集落内部に立ち入ることはないが、下福家地区下部の谷合にはぜひ寄り道したいスポットがある。旧峠道にある、通称『四つ足堂』である。 県道から脇道に逸れて(正確には旧峠道古道に入って)坂を下ったところに、それは立っていた。 旅人や借耕牛を連れた農民の休憩所ともなった茶堂で、明治初年に火災で焼失したものを再建したものだ。 地元の方々によって茅葺に戻されたのは最近の事。 往年の旅人気分で四つ足堂での休憩。私はこれがやりたかったのである。メインイベントとも言える目的を果たし、大いに満足したのだった。 当初、四つ足堂から登る古道を進むことも考えていたが、見上げる細道はとても自転車を乗り入れるような道ではない。来た道を引き返し、県道に戻る。登るに従い道幅は狭くなるが、それでも立派な舗装路だ。真鈴集落の入口まで、クルマが通れるほどに拡張されたのは昭和41年。谷底を這う古道を思えば、画期的な工事だったに違いない。旧道にロマンを求めるのは、無責任なよそ者の発想ということを再認識させられる。 少しずつ寂しくなってきた山道の右手に、真鈴への分岐が見えてきた。標識に記載されているのは«町道 真鈴大屋敷線 琴南町»。旧表記のままだが、ここから県道と別れて里道を進む。グイグイ登ると、遂に稜線の集落・真鈴の家々が現れた。時計の針は7時45分。登り始めてから正味一時間程、起点からの標高差は300m少々しかないからこんなものだろう。 かつて借耕牛を連れた阿波の農家が往来した、峠直下の集落、真鈴。古い屋敷が点在するが、人影は見えない。廃屋らしき建物も見えるが、さほど寂れた雰囲気でもない。要するに、それほど際立った特色もない風景である。 (ううむ。天空の集落など、ちょっと美化が過ぎたか。) 私はいささか拍子抜けしたが、例によって過大な憧れと思い込みが招いた結果なのだから仕方がない。気を取り直して、真鈴の氏神が祀られている城村(キムラ)神社を参拝。本来の真鈴峠(旧峠)はこの神社の裏の稜線上のはずだが、かつての峠道はすっかり消滅しているようだ。とはいえ阿波側を見渡す眺望は素晴らしく、やはり阿讃の峠の中でも指折りの名峠と言っていいだろう。 現在、真鈴峠の標識が建てられているのは、おそらく昭和50年頃に開通した新道だろう。標識は立派だが、残念ながら眺望の良さは旧峠の方に軍配が上がる。とはいえ、自転車でここまで登れることには感謝すべきで、私は十分な達成感を得ることができた。さあ、あとは下るだけだ。 阿波側についても讃岐側と同様、峠道のルートは整備に伴い大幅に変更を受けているに違いない。幸い«阿波の大屋敷から日浦、明神を経て芝生に出る»という、琴南町誌の記載に沿った道路が走っているので、そちらを辿って撫養街道に出ることにしよう。 (この項、終り)
by james_y1964
| 2017-06-18 20:15
| 『阿讃の峠と温泉と』
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