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2016年 06月 12日
高松中心部から国道193号線で阿波に抜けるルートは、地元では一般に塩江街道と称される。途中、塩江温泉を擁する旧塩江町を経由する為で、その原型となった旧街道が、いわゆる『仏生山街道』である。
高松城南の起点(常盤橋)から始まるこの旧街道は、仏生山にある高松松平家の菩提寺、法然寺へ藩主が参拝する為に整備された道であり、その為うねうねと迂回したりせず、ストレートに法然寺を目指している。街道は法然寺を過ぎると更に南下し、相栗峠を越えて阿波に入るのだが、そちらは峠レポートで既に紹介済み。今回は高松城から法然寺までの区間を走ってみようと思う。 太陽コレクション古地図散歩:西海道・南海道から転載) 街道の序盤は、県下で最も賑わう商店街を抜ける。買い物客で賑わうアーケード街は自転車走行禁止。丸亀町、南新町、田町の三商店街をまたいで掛けられているアーケードが無くなると、交通量の多い旧国道193号線に入る。 商店街真っ只中。 起点から約2㎞、歩道橋の懸かる三叉路、通称『お林の分かれ股』を左に進む。右に進むルートは金毘羅に向かう旧街道『高松道(みち)』(琴平街道)。ここまでの区間は両街道が重複しているのだ。“お林”とは、江戸期に禁足林だった紫雲山(藩主の別邸があった栗林公園の裏山)に対する敬称の名残で、右手のビル群のすぐ裏には名勝・栗林公園がある。 まだまだ市街地中心部から出ておらず、交通量の多い道路は走っていて楽しいものではない。この辺りには旧街道の名残と呼べるものはまず残っていないだろう・・・と思っていたら、あった。『一里松の跡』と彫られた立派な石碑が、道路脇に設けられていた。真新しい石碑の背後にはまだ若い黒松が一本。何の説明版も無いのが残念だが、こういう物をわざわざ設置してくれているのは嬉しいものだ。 退屈な街中の道を更に進むと『大田の辻』と呼ばれる三叉路に至り、街道は旧国道から左に逸れる。この場所に、今回唯一最大ともいえる旧街道の痕跡が遺されている。天保年間に設けられた常夜灯と、大正11年設置の道標石柱である。この道が旧国道だった昭和の時代、交通量の多さは県下でも指折りだったはずだ。クルマ社会に移行する中、車道の脇に陣取って邪魔としか思えないこれら石造物が遺されたことは大いに評価されるべきだろう。仏生山街道のシンボルとして、末永く保存してもらいたい建造物である。 奥の壁面に残っているのが面白い(現在の画像参照)。 太田の辻から旧街道に入った途端、クルマの数はぐっと減った。道幅も狭まり、一瞬“おお、いかにも旧街道”と感じ入ったのだが、それはごく短い区間。すぐに道幅は広がり、クルマの量も増えた。琴電(コトデン)の踏切を越えると、すぐに仏生山の古い街並みに到着。 仏生山地区は法然寺の門前町として栄えたエリアで、近年観光資源として、残された古い建物群が盛んにアピールされている。街道裏手に営業している仏生山温泉は、立ち寄り湯としても全国区で高評価を得ており、これからが楽しみなスポットでもある。 古い街並みの突き当たりの雌山には、人柱伝説の残る ちきり神社が祀られている。相栗峠に向かう旧街道は雌山の東を巻いて進むが、今回ゴールに定めた法然寺は反対側。緩やかな坂を登り詰めたら、長い参道を持つ山門が見えてきた。 (この項、終り)
by james_y1964
| 2016-06-12 20:51
| 『讃岐旧街道を走る』
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Comments(1)
Commented
by
shin
at 2016-06-12 22:43
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1999年6月から2000年末までの1年半、単身赴任で暮らした高松市。めっちゃ懐かしいです。自転車は冬眠中でした。今から思えば、もったいなかったなぁ。
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