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2010年 07月 03日
セピア色の大通り・昭和のバス道を走る(その三)
いくら何でも、引田行きのバスが走っていなかったはずはないだろう。私はご主人の話になおも耳を傾けた。 『引田行きのバスはねえ、白鳥神社の方には行かんと、(山の方を指差しながら)この裏の道を走っとったんや。』 (ええっ?!白鳥の中心部を通らずに、て事か?) 『細い道やけど、すぐにわかる。湊橋の所からね、山に向かってずっとこう来て・・・』 (まさか、その道と言うのはひょっとして・・・) 『それから権平(ごんぺい)の所の踏切を渡って、中山池の横を通って引田に入って行っとったんや。』 何と言う事だ!私はご主人の話を聞いて愕然とした。 権平というのは国道脇にあるうどん屋の名前で、中山池はそのすぐ先、旧白鳥町・引田町の町境にある貯め池だ。そう言えば以前読んだ本に書かれていた事を思い出した。中山池の脇に引田へ向かう小さな峠があって、古い石地蔵が祀られているという事を・・・。 しかしそこへのアプローチが、私が想像もしなかったルートだったとは! 要するに、三本松方面から来たバスは、湊橋を渡った所から、白鳥神社へ向かう路線と、引田へ向かう路線とに分かれていたという事らしい。 私はあっけに取られてしまった。何の事は無い、『旧三町を結ぶバス路線は、各地区の中心部(人口密集部)を経由する』というのは単なる私の思い込みだったのだ。考えてみれば、今も昔もバスの路線と言うものは一筆書きの一本経路とは限らないのである。私は自分の阿呆さ加減に呆れつつ、新たな発見に興奮しないではいられなかった。 ご主人が聞かせて下さった色々なお話は、いずれも私の興味を掻き立てられるものだったが、とにかく旧道を走らねば。私はご夫婦にお礼を言い、旧街道とは無関係の坂道を登り、下った。 旧道はすぐに現れた。東西に走る道は他に無いので間違い様が無い。私はその道を三本松方面に向かって逆走した。スーパーマーケットの前を通り、国道を横切り、湊川に戻る。 湊橋から振り返るその道は、私が(まずこっちではないだろう)と決めつけていた、白鳥神社を左手に素通りするルートだったのである。 いたが、その時は気にも留めなかった。後で考えればこれが大きなヒントだったのだ。 私は今来た道を通って、改めて引田へ向かう事にした。 国道を斜めに横切ると、旧道の両側の民家は進むにつれてとぎれとぎれになってくる。田んぼの真ん中ののどかな田舎道は、白鳥神社の門前から長く伸びる参道を横切り、山裾を通って行く。 面白い地名の由来は諸説あり。 新池からしばらく進むと、左手に立派な堂が現れた。道の反対側を見上げると、祠の様なものが祀られている。これが何かを理解するのに、そう長くは掛らなかった。 (権平塚って、こんな所にあったのか!!) 地元以外の方々には何の事かさっぱり分からないだろうから、若干説明させて頂く。 国道11号線沿い、旧白鳥町・引田町の町境近くに、“権平うどん”という人気のうどん屋がある。近くに権平塚というものがあり、それが店名の由来との事。 私はその権平塚がどこにあるのか、うどんを食べに来る度に探していたものだ。しかし店の裏手には大きな会社が有るだけだし、国道の反対側にも何もない。 (もうとっくに風化して無くなってしまったのだろうか。) 地元の方々には笑われそうだが、私は真面目にそう考えた事もあった。 権平うどんと、権平塚(森権平の墓)の位置関係。国道と線路の向こう側だったとは。後日母に聞いてみると『誰でも知っている』との事。二十年も悩んでいた私は何だったんだ。 (という事になっている)な若武者。東かがわ市には元親軍に討たれた武者の 墓が点在しており、昔話では侵略たる元親は大体が悪者扱いである。 ちなみに私が独身時代付き合っていた彼女は長宗我部に由来するとしか思えない 名字で、結ばれる事なく終わったのは運命というか因縁というか(考え過ぎか)。 いう事で、大草鞋(わらじ)が奉納されているのはそれにちなんでいるのだろう。 サイクリストは愛車と一緒に是非参拝すべし。将来イタリアのギサロ教会に 肩を並べる、サイクリストの聖地になるに違いない。・・・たぶん。 権平塚を参拝して大いに満足した私だったが、ふと見上げると西の空はいつの間にか真っ暗になっていた。無理も無い、実は午後からの降水確率は芳しくなかったのである。丁度昼時になったので、空模様の様子見も兼ねて久々に権平うどんで腹ごしらえする事にした。 旧道から踏切を渡り、一旦国道に出る。店に入る頃には、ポツ、ポツと雨が降り始めた。 こんな所にも小使いアップの恩恵が。この店はカレーうどんが美味い事で有名。 腹ごしらえを済ませて店を出ると、雨は小康状態になっていた。ポタリングを続けるかどうか迷ったが、近所とは言え根性無しの私の事、次に何時来られるか分からない。思い切ってこのまま引田を目指す事にする。 再び権平塚に戻り、旧道をトレースする。旧道はJRの踏切で一旦途切れて国道と合流した後に、中山池の手前から翼山の裾を抜けている。 切り通しの小さな峠は、それ程昔からあった道には見えない。帰宅後色々調べたところ、本来の古道は中山池の東側を通っていた様で、お地蔵さんも池の東岸に祀られているとの頃。しかし今回のポタリングはあくまでバス道走破であるからして、こちらの切通りの道路で間違ってはいないのである。 薄暗い道はすぐに開け、松原地区の集落に出た。坂を下り切ると、十分な道幅の道路に出たが、これがごく最近のものなのか、古い道を拡張したものか分からない。ゴールも近付き、人に聞くのもだんだん面倒になってきたのでそのまま走る。 このあたりの地名は坂の下。旧街道の峠の下、という意味だろうか。 小海川を渡って引田小学校の裏を通ると、全く土地鑑の働かない住宅密集地に迷い込み、もうどれが旧道なのかさっぱり分からない。ヤケクソになって国道に出たところにあるのが、大川バスの停留所である。なにはともあれ、バス路線を巡る今回のポタリングにふさわしいゴール地点ではないか。 歴史と実績のあるバス会社。 今回色々お世話になったご主人のお話によると、三本松方面から来るバスの終点はこの辺りだったそうである。つまりここより以東の相生地区まで路線バスは走っていなかった、との事。当時、相生地区には小山がたくさんあり、現在の様な平地に整地されたのはずっと後らしい。徳島方面へは、明治時代に開通した大阪峠を越えるしか無く、現在国道が敷かれている海岸線のルートは開拓されていなかったのである。 ため、(まあこの辺だろう)と、ごまかしている。現代の幹線道路である国道・高速道路 との対比が面白い。 今回のポタリングで、かつて(現在の)東かがわ市の東西を繋ぐバスの路線(旧街道)の主要ルートを確認・走破する事が出来た。勿論これはあくまでその一部で、枝分かれした路線もたくさんあった事だろう。時代と共にバス会社も、その路線も、道路自体も変化してきただろうから、このレポートはあくまで個人的な、想像と思い込みも多く含んだ極めて大雑把な旧街道紀行でしかない。 正確なデーターはバス会社に眠っているかも知れないし、郷土史を研究されている方の門を叩けば、更に詳しい情報が得られるだろう。しかし私は真面目な研究者ではなく、単なる古い物好きなサイクリストである。こういう楽しみは、突っ込んだ首を程々で引き抜く位が、一番面白く感じるのであった。 (この項、終り)
by james_y1964
| 2010-07-03 21:50
| 『東かがわ市右往左往』
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Comments(4)
いつものように五万図の「三本松」を見ながらジェームスさんの轍をトレースしています。
五万図では、中山池から引田に至る道路は幅員1.5~2.5mの実線になっていて、ほんとに路線バスが走っていたの???というような道ですが、写真を拝見すると意外と道幅があるんですね。 それにしてもいまさらですが、地図をよく見て思ったのですが、平成の大合併以前は、三本松町って町名は無かったんですね。たしか特急も停車する主要な駅だと記憶していたので、一つの町だと思っていました。
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ジェームス吉田
at 2010-07-06 00:53
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さんつあ~ひ~ろ~さん、毎度でっす。
>五万図では、中山池から引田に至る道路は幅員1.5~2.5mの実線 そうですね、2万5千図でも途中から実線になってますが、車は走れます。けどこの峠道、逆から来る時は入り口が分かり辛く、迷った迷った(笑)。 >三本松町って町名は無かったんですね。 よく言われるんですよね~。特急が止まる駅がJR三本松駅で、三本松高校(母校)は甲子園出場経験アリだし。正確には大内町 ⊃ 三本松。 しかしまんざらデタラメでもないんです。旧大内町は、丹生村・誉水村そして三本松町が合併して出来た町ですから!(1955年)
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ぬうぼマン
at 2010-07-07 22:34
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いや、中々面白かったです。
旧道探索はイロイロ有れども、旧バス路線探索と言うのは、とても面白いところを突いてます。 富士山周辺を4駆で友人達と走っていた頃も、とても4駆じゃないと入れない道が、かつては富士登山のバス路線道だったなんてことを知った時は、驚きと探究心に駆られたものでした。
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ジェームス吉田
at 2010-07-08 02:20
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ぬうぼマンさん、こんばんは。今回はかなりディープなローカルネタでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。(私自身、しっかり楽しめました・笑)。
勿論本腰で調べれば、もっと色々路線探索の深みにはまっていくのでしょうけど、今回はこの辺で留めました。キリがないですからね。 >富士登山のバス路線道だったなんて これは面白い!是非自転車でヤブコギしながら・・・と、夢が広がります。古い地図を片手に“バス停巡り”なんて、ね(笑)。
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