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2026年 03月 22日
![]() 小浦海岸を後にして、番屋川の左岸を遡上する。河口から1km程で枝分かれする支流の北川沿いに進み、案内板に導かれて落合集落中央部に向かうと、すぐに次の見どころの白見堂(しらみどう)に到着。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
白見堂を後にして最後のスポット、姿見の井戸を目指す。目と鼻の先だったはずだが、その場所がさっぱりわからない。実はガードレールのモモちゃん案内看板が一カ所、間違った場所に取り付けられていたのが原因で、一時間近く無駄にさ迷ってしまった。 ![]() モモソ姫が姿を映して身づくろいされた、と伝わるが、それが水主への移動途中の事だとしたら、地形からすれば白見堂より先にこちらに立ち止まった事になる。しかし単にハイキング途中の身づくろいだったのかもしれない。 ![]() ![]() 汗を拭って井戸をのぞくと、確かに水があるにはあるが、鏡の様に姿が映りはしなかった。ひょっとしたら心の奇麗な人を選んでいるのかもかもしれない。集落の生活道の脇にさりげなく残る古井戸。幹線道から離れた場所にあり、超マイナーだが、もっと知られるべきスポットだと思う。 ![]()
見るべきスポットはこれで全てで、ポタリングレポートはこれで終了。 しかし読者の皆様にはもう少しだけ、私の昔話にお付き合い願いたい。 ********************************* 時は平成15年(2003年)の夏。私の実家の工場には当時、数名の従業員が働いてくれていた。その一人、Wさんは馬篠在住の女性で私の母の同級生。工場(こうじょう)長の肩書の私を、なぜか“こうば長”と呼んでいた。別にどちらでもいいのだが、おかげで私は今も従業員からこうば長と呼ばれ続けている。
そのWさんがある日、笑いながら興味深い情報を教えてくれた。 『馬篠の艪懸神社で、神社が祀られた記念のお祭りがあるらしいで。こうば長、そんなん好きなんやろ?』 丁度私が『おおち夜話』にハマっていた頃で、知らず知らず職場でウンチクを披露していたのだろう。反省しつつも、嬉しい情報には違いない。私はWさんにお礼を言って、教えてくれた日に艪懸神社を訪問してみる事にした。 ![]() 8月17日(日)。艪懸神社の石段の周りには、普段は見られないほどの人出で賑わっていた。石段の脇にある雑貨屋は、いつから営業しているのかわからない程古い古い木造の店舗。昭和のある時期までは、田舎の集落には必ず一軒はあった、雑貨屋兼駄菓子屋兼生鮮食料品の店だ。 その店のおばちゃんが、店の前でかき氷製造機を叩きながら笑っている。 『せっかく一儲けしょーと思たのに、儲けそこのーたわ(儲けそこなったわ)!』 人手を当てにして、かき氷機をリースで借りてきたのかもしれない。が、この日は8月というのに随分と冷え込んで、かき氷を求める人はあまりいそうも無い。それでもお祭りは目出度いもので、おばちゃんは笑顔で世間話に興じている。 ![]() ![]() 石段を登ると、境内にも多くの人が集まっている。しかも本堂では巫女さんが舞を奉納しているではないか。ローカル神社では目にすることのない風景だ。 境内の脇には、パイプ椅子で輪になる地元民と思しきグループが祭り談義で賑わっている。中心で熱弁をふるっていたのが年配の男性で、私はすぐ横でその話に耳を傾けた。
たまたま文献を調べていたら、今年が艪懸神社が祀られて丁度2,300年に当たる事がわかり、それは何かしなくちゃいかん、と発奮した事。 祭事を企画し、高松の神社からわざわざ巫女さんの応援を願い出た事。 改めてモモソ姫の伝説とそれにまつわるこの神社を、もっと周知せねばならぬと思い知った事。
等々、私の興味を引く話題ばかりで、私はどんどん引き込まれてしまった。 『モモソ姫をね、もっとアピールせないかん。モモソ姫の従者の墓もあるくらいなんだから。』 『ええっ!それ本当なんですか?!』 とうとう私は声を上げて、話の輪に入ってしまった。 『昔はね、この神社はすごく賑わってたんや。ほら、石段の脇の建物。あそこでは連日芝居の興行があったりして。』 『ほうほう。』 『昔の旅人は、ここを通過する時は必ずここを参ってたんや。だから昔は相当賑わってたんやな、馬篠は。』
地元愛を力強く込めながら、老人は他にもモモソ姫や艪掛神社について次々と逸話を披露してくれたのだが、その内容をほとんど忘れてしまった事が悔やまれる。 話は尽きないが、私は貴重な話を聞かせて貰った事に感謝を伝えて、その場を辞した。 後日、職場のWさんにその話をすると、 『ああ、それはOさんやな。あの人もそんなん好きなんや。』 と、あの老人の名前を教えてくれた。地元馬篠では知られた人物の様だ。 ![]() (そうだ、いつかまたOさんに会って、もっと話を聞かせてもらおう。モモソ姫の従者の墓も案内して貰いたいし。そうだ、水主神社の姫の陵墓へ一緒にお参りに行けたらいいなあ。) 私はそんな勝手な夢想を描く様になったが、それが叶う事は無かった。 何年も経たないうちにWさんから、Oさんが病気で他界した事を聞いたのである。 モモソ姫の従者の墓がどこにあるのか、今となってはわからない。
神社の石段脇の雑貨屋はいつの間にか戸締りしたままになり、古い木造の建物はとうとう倒壊寸前になった。今回のポタリングの数週間前、入り口には東かがわ市による『建物老朽化による強制撤去』が近々行われる旨の書面が張られていた。間に合ってくれ、と祈るように今回のポタリングの日を迎えたのだが、残念ながらギリギリで間に合わず、あの店は跡形もなく更地にされていた。かき氷で一儲けしようとしていたあのおばちゃんは、今どうしているだろうか。Wさんは大分前に退職して、もう何年も会っていない。(この項、終り) ![]() #
by james_y1964
| 2026-03-22 14:03
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2026年 03月 20日
さて、今回使用するパンフレットの名称は【丹生(にぶ)サイクリングマップ】。地元以外の方のために、地名について説明しておこう。 ![]() 東かがわ市は、東から引田(ひけた)町、白鳥(しろとり)町そして大内(おおち)町が平成の大合併を経て誕生した。更に遡ると大内町は丹生村、誉水(よみず)村、三本松町が合併した町で(正確には段階を踏んで合併)、旧町村に小学校が各一校、町の真ん中あたりに中学校と高等学校。シンプルで分かり易い校区で、筆者も含めて小中高の進学を町内で完結した町民も多い。なお、三つの町立小学校は東かがわ市誕生後、市立『大内小学校』一校に統廃合されてている。 今回のポタリングは私の母校の丹生小学校校区、つまり旧丹生村をぐるり一周するルートになっている。地名の由来まで話を広げたらキリがないので、そろそろ出発するとしよう。 ![]() ![]() ![]() マップ作製スタッフに敬意を表し、なるべく案内通りに走ろうと思う。となるとスタート地点は丹生コミュニティーセンターだ。筆者の自宅すぐそばで、パンフレット発行元の『丹生いきいき会議』の問い合わせ先もここになっている。なのでとっとと出発すればよいのだが、私はある目的でわざわざセンターに入館し、受付をされていた女性に尋ねてみた。 『あのー、スイマセン。何年か前にこちらのホールの片隅に、モモソ姫のキャラクターパネルを見かけたのですが。まだ保管されていますでしょうか?』 『え?・・・そういえば見たことがあったような気が・・・多分物置に仕舞っていると思うのですが、開けてみましょうか?』 『いえいえそこまでは!・・・申し訳ありません。あ、いや、せっかくでしたら』 恐縮しながらも図々しく物置をガサゴソ探し回る私。そして押し込まれている備品のそのまた奥に、お目当ての“モモちゃんパネル”を発見。めでたく記念撮影となった。 ![]() ![]() 『大変お手間を取らせました、本当にありがとうございました!』 『いえいえ、モモソ姫もきっと喜んでますよ。』 嬉しい事を言ってくれる受付女性。これで心おきなくポタリングをスタートできるというものだ。
ルートは一旦JR丹生駅まで進み、脇の踏切を渡って左折。JR高徳線の線路を挟んで国道11号線と並走して西に進む。素直に国道を走った方が単純なのだが、サイクリングとしてはこちらの方がはるかに快適で、そこまで考えてのルート設定か、と感心する。この道は藩政時代の志度道(高松城と徳島城を繋ぐ旧街道)の一部でもあるが、その大半は国鉄と国道の敷設により消滅している。 ![]() ![]() ![]() ![]() そこそこ走ったところで広域農道に合流、そこから海に向かって坂を下ると、馬篠(うましの)集落に出る。一説では源義経の軍勢が屋島の向かう際、軍馬をこの地の篠竹(しのたけ)林に隠して休憩した事が由来とされており、モモソ姫讃上陸伝説が残る由緒正しき集落である。
最初にして最大のスポット、艪懸(ろかけ)神社は集落から少し坂を上った場所にある。モモソ姫が上陸したとされる場所がここで、船の艪を松の枝に架けた事がその由来。ただし海岸線からは数百メートル離れているうえ、海面からもだいぶ高い位置で、船が漂着したにしてはいささか無理がある。これについては香川県教育委員会発行の『阿波「街道」(志度道長尾道)調査報告書』に、『百襲姫の時代は海進期であって、海面は現在より五mも高かったから、この神社下へ着船されたことは妥当』と、大真面目に記してある。 ![]() ![]() 鳥居の正面にある集会場の裏には、何代目かはわからないが『艪掛けの松』が残されていた・・・はずなのだが、立派な標石の後ろに残るのは切り株だけ。昔訪問した時もそうだったのだが、その後に新たに植樹されていたのは覚えているから、再び枯死したのだろう。なんとか復活してもらいたいが、それはよそ者のワガママでしかない。松の維持管理は手間も経費も掛かるだろうし、簡単な事ではないのだろう。 ![]() 艪掛神社にはある思い出があるのだが、詳細は後述する事にして先に進む。ここからは海岸線の県道を東に向かうのだが、冒頭に紹介した温泉施設、ベッセルおおちの向かいで一旦停車。山裾には『北山登山道入り口』の標識が設けられている。北山(きたやま)は丹生地区の海側に鎮座する標高226.4mの山塊だ。地元のボランティアグループの手で、かつての山越えの道が近年整備されたとの事。 ![]() こんなところで脚を止めたのには理由がある。、モモソ姫は馬篠にしばらく滞在した後に北山を越え、最終的には旧大内町内陸部の水主(みずし)の地に宮居を構え、後に水主神社神社に祀られた、とされている。つまり、ひょとしたらモモソ姫は従者と共にこの山道を通って行ったのではないか、という妄想が湧きたつのだ。単なる妄想でしかないのだが、それがまた楽しいではないか。
更に進むと、切り通しの左脇に急な石段が登っている。そのてっぺんに祀られているのが袖掛神社で、あまりに暑いのでモモソ姫が着物の袖を引きちぎった事が由来らしいが、それが馬篠に漂着する前なのかその後なのかはよくわからない。神社と言っても先ほどの艪懸神社とは違い、小さな祠があるだけだ。参道の急こう配の石段は県道が切り通しで通された為で、以前の参道は小さな稜線の上にあったと思われる。祠の中には、モモソ姫の面影を漂わせる素朴で小さな白い石像が一体。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 北山の北側をぐるりと回って、坂を下る。眼下に番屋(ばんや)川の河口が見えてきた。ここでもう一カ所、河口脇の小浦海岸に寄り道する。モモソ姫が漂着したのはこのあたり、小磯(こいそ)の海岸という伝承もあるからだ。 ![]() この海岸は小浦海水浴場の別名もあり、私が幼い頃は夏休みになる度、大勢の子供たちが海水浴に訪れていたものだ。シーズン中は海の家も2~3軒立ち並び、大いに賑わっていたものだが、少子化が進んだ昨今はすっかり寂れてしまった。背後に迫る北山の山裾から延びていた黒松の木々は枯れてしまったが、美しい砂浜は往時のまま。モモソ姫の小舟が流れ着くのにふさわしい海岸に思えるが、当時の海面の高さが云々、という説を絡めると信憑性は薄められてしまう。あまり深く考えずに、次へ進むとしよう。(続く) #
by james_y1964
| 2026-03-20 18:53
| 『東かがわ市右往左往』
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2026年 03月 01日
![]() 2002年2月。十数年務めてきた会社を退職し、私は実家の仕事を手伝うために香川県に帰郷した。平成の大合併で東かがわ市が誕生するのがその翌年で、実家と仕事場の住所はまだ大川郡大内(おおち)町だった。 子供の頃から見知っていた家業ゆえ、仕事に馴染むのにはそう時間はかからなかったが、サラリーマン時代を通してなまり切ったカラダに工場の現場作業は相当キツく、体重は最初の半年で6㎏も減るほどだった。 ![]()
疲れを取るために、町が設立した温泉施設を利用するのが休日の楽しみだったのだが、ある日、その売店カウンターに積み上げられていた本に目が止まった。 (あれ?この本は確か・・・) その本のタイトルは『おおち夜話(よばなし)』。装丁は異なるが、その書名には覚えがあった。 ![]() 私が小学生の頃、居間の本棚に同名の図書が置かれていたのだ。おそらく父が役場かどこかで貰ってきたものだろう。パラパラとめくってみたが、子供の興味を引くものではなかった。結局一行も読むことは無く、私の記憶には“実家にあった変な本” としか残っていなかった。
その本が、新たな装丁で再版されていたらしい。ただし山積みされたその横には『ご自由にお持ち帰りください』との立札が。 (やれやれ、売れ残ったのかな。まあタダなら貰っておこうか。) 懐かしさもあって、入浴帰りの私は一冊を小脇に抱えて家路に向かった。 当時は知る由も無かったが、後にこの一冊が私を郷土史に目覚めさせる事になるのである。
発行は大内町役場で平成7年改訂再版とある。価格の表示は無いので、行政が文化事業の一環で編集・配布したものかも知れない。売れ残ったと思ったのは私の失礼な早とちりだったようだ。 内容はもともと町の広報誌に連載されていた地元大内町の昔話や地名の由来、郷土史などを分かり易くまとめたもので、かなり読み応えがある。 著書は荒井とみ三氏。独学で郷土史を研究し、他にも郷土民族史の著書多数とのこと(著者略歴より)。実際、素朴ながら、この本の内容は柳田国男氏の遠野物語に匹敵すると言っても過言ではない。 私はいっぺんに引き込まれ、貪るように読み進めた。
中でも私の興味を引いたのが、地元に伝わる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、通称モモソ姫の伝説だ。本文から要約すると次の通り。
その昔、七歳のモモソ姫は大乱を逃れるために大和の都から粗末な船で船出して、大内町馬篠(うましの)の海岸に流れ着きました。その後、同水主(みずし)に居を定め、後に水主神社に祀られました。神社の奥には姫の御陵が残されています。
古代史に関心のある方は、あれ?と思われた事だろう。モモソ姫の陵としては奈良県の箸墓古墳がよく知られているからだ。しかしそこは『ロマン』の一言で片づけて欲しい。そもそも倭迹迹日百襲姫命の伝説は日本各地に残されており、大内町に残る伝説にも色々とバージョンがあるほどだ。それらの真偽を語る事自体、ナンセンスだろう。ちなみに桃太郎で知られる吉備津彦命(きびつひこのみこと)は百襲姫の異母弟で、対岸の岡山で名を残しているのも何かの縁・・・かもしれない。
我が地元には姫にまつわる遺構が点在しており、ストーリー性に溢れている。いつしか私は、一つの夢を持つようになった。 (モモソ姫・・・いやもうモモちゃんでいいや。彼女にまつわるスポットを繋いだサイクリングルートを辿ってみよう。そうだ、モモちゃんを萌えキャラにしたらバズるんじゃないか?) そんなことを考えながらズルズルと十年以上が経ったある日、某施設のパンフレットスタンドであるものを目にした私は、あっと驚いた。 (しまった!先を越された!!)
![]() ![]() それは『丹生(にぶ)サイクリングマップ~百襲姫命のゆかりの地を巡る~』と題されたパンフレットで、なんとモモちゃんさえ一足先にキャラクター化されているではないか(萌えキャラとは言えないが)。うわーやられた、と地団太を踏んだがもう遅い。発行元は丹生いきいき会議/香川大学瀬戸内地域活性化プロジェクト。母校の後輩の手によるものであるからして、ますます文句を言える筋合いではない。むしろこんなマイナーなネタをパンフレットにまで昇華したスタッフには敬意を抱くしかない。いつか、このマップのルートでポタリングを楽しもうではないか。私は期が熟するのを待った。
そして2026年2月23日(祝日)。改造を終えたキャプテンスタッグ14インチ車の試運転も兼ねて、いよいよモモちゃんポタリングを実行する時が来たのである。(続く) ![]() #
by james_y1964
| 2026-03-01 10:51
| 『東かがわ市右往左往』
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2025年 06月 15日
![]() バスで与島に引き返し、一旦PAに停めたクルマに戻る。時刻は間もなく10時、日曜日ということもあり、PAは賑わいを見せ始めている。 瀬戸大橋開通と同時にオープンしたこのPAだが、かつてガラガラだった時期があった。それも瀬戸大橋ブームの真っただ中で。なぜ?と思われるかもしれないが、本当だ。 PA入口付近に、『第二駐車場』への案内があるが、ガラガラの原因はその場所にあった。クルマに自転車を積み込み、そちらへ移動する。
![]() ![]() 第二駐車場は橋を挟んで反対側。だだっ広い駐車場は雑草に囲まれ、辺りには何の施設も無い。そもそも第二駐車場というものは、メインの駐車場が満車の際に使うためのものだろうが、こんな場所なら案内されない方がマシだ。夜に訪問したら恐怖を感じる程なのだから。 ![]() 駐車場の北側を見れば、この場所がPAの予備駐車場としてわざわざ造成されたものではない事に気づくだろう。現在『関係者以外立ち入り禁止』の柵に囲まれたエリアには、生い茂る雑草の中にヤシの木々が整列している。瀬戸大橋ブームの頃、この場所にはどえらく賑わった商業施設があったのだ。その名も京阪フィッシャーマンズワーフ。 ![]() 廃墟化したフィッシャーマンズワーフ跡地。並び立つヤシの木が空しい。 ブームの絶頂期、その盛り上がりは凄まじいものがあった。ショッピングと記念写真撮影のために、観光バスはこの大型土産物店に大挙して押し寄せたものだ。駐車場から溢れるとバスはその手前で乗客を降ろし、添乗員(つまり前職の私)が店先まで案内する事になる。帰る際にはバスガイドとともに集合時刻に合わせて店舗前に立ち“はーい、バスはあちらですよー”と声を張り上げ、超混雑観光地での定番スタイルで団体客を誘導するのだった。
店内は土産物を求める客でごった返し、人込みをかき分けなければ進めない程。海産物コーナーの売り子の名調子を聴きながら突き抜けると、店の裏手の港に停泊する帆船(に模した船)が目に入る。瀬戸大橋遊覧船、その名も咸臨丸。時間と予算のある観光客はこれに乗り込み、クルージングを楽しむのである。乗船せずとも瀬戸大橋(与島橋)をバックに仰ぎ見るこの桟橋は絶好の撮影スポットで、団体客は我も我もとカメラを向けていたのだった。 ![]() 往時のフィッシャーマンズワーフ裏の桟橋。模擬帆船・咸臨丸が見える。 (画像はお借りしました。) 当時ほとんど全ての観光バスは、反対側にある与島PAなど見向きもしなかった。大型土産物の立ち寄りで得られる送客料(マージン)はバス会社や旅行会社の重要な収入源で、一円にもならない公的PAに入っても何のメリットも無いからだ。 “狂乱の瀬戸大橋ブーム”を象徴するかの様な施設ではあったが、その賑わいは長くは続かなかった。
ブームの終焉後、かろうじて営業していたフィッシャーマンズワーフをプライベートで訪れたことがある。 駐車場はスカスカになり、あれほど賑わっていた店内には閑古鳥が鳴いていた。鯛が泳いでいた生け簀は水が抜かれ、店員はレジのおばさんの他には見当たらない。イベントに使われていたであろうプラ製の椅子が、出入り口の横にだらしなく積み上げられ、やる気の無さを漂よわせている。遊覧船はとっくに撤退し、変わらないのは瀬戸大橋の雄大なロケーションだけ。 あまりの寂れ方に当時、ただただ絶句するしかなかった事を覚えている。
そんな思い出に浸りながら“第二駐車場”を見まわすと、10台近くクルマが停まっている。地元民が利用するような場所ではのないで不思議に思ったが、答えはすぐに分かった。一人の運転者が、抱える程の釣り道具をクルマから下ろしている。なるどほ、と思い、かつての遊覧船乗り場に行ってみると、釣り糸を垂れる人々がそこかしこに。駐車場も桟橋も、今では当初の目的と異なる使われ方をしていたのであった。 ![]() 気を取り直して、与島サイクリングをスタートしよう。与島には何度も降り立った事はあるが、観光客がウロウロするエリアから出たことは無かった。“与島の本当の姿”を見るために、地元島民エリアにお邪魔してみようと思う。 元・フィッシャーマンズワーフ駐車場のすぐ横は住宅街で、クルマ止めが結界の様に並んでいる。観光客でごったがえしていた時代も壁など無く、民家は駐車場から丸見えだったが、観光客があちらのゾーンへ侵入することはまず無かった。 ![]() ![]() 与島中学校(廃校)。 クルマ止めを越え、サドルに跨る。道路沿いの雑貨店は廃業している様子だが、とにかくひと気が無い。横に立つ中学校の建物はさほど古びてはいないが閉校して久しい様で、正門には漁業用の網がぞんざいに被せられていた。 (島の規模のわりに、住宅の数が少ない様な気がするが・・・あ、そうか!) 地図上、与島島民の家々は島の南東海岸に集まっている事を思い出した。目の前の宅地が現代的に区画整備されているところをみると、こちらは瀬戸大橋開通に合わせて開発されたエリアかもしれない。そんな事を考えながら中学校の西側に延びる道路を南下すると、坂の上に体育館の様な建物が見えた。
![]() 丘を上り詰めると、果たしてそれは廃校になっていた与島小学校の体育館だったが、学校の建物は一部しか残されていない。ポツンと立つ二宮金次郎像の脇には重機や瓦礫が放置され、卒業生には見せたくない風景だ。切なくなってきたので一気に坂を下り、島の東側に出た。
対岸に浮かんでいるのは小与島で、ブーム時にわずかの年月だけ営業していたリゾートホテルの廃墟が見える。JR瀬戸大橋線の車窓からも見える建物だ。インバウンドで盛り上がる昨今なら、ひょっとしたら潰れずにすんだかもしれない。 ![]() 海沿いに固まる家々は浦城(うらじょう)集落で、ここが与島本来の中心地なのだろう。古い港町らしく、斜面にぎっしりと民家がへばりついている。更に進むと漁港から防波堤で繋がっている小島、鍋島が見えた。国の重要文化財指定の、鍋島灯台が立つ島である。与島観光のメインスポットとして楽しみにしていたのだが、その入り口には『立ち入り禁止』看板が。柵は解放されているので、その気になれば入れそうだが、やはりルールは守ろうと思う。 ![]() 左が鍋島。徒歩で渡れるのだが・・・ ![]() 来た道路を引き返すのも癪なので、民家の間の細道を登る。両側には見事な石垣が組まれているが、採石で栄えた与島としては当然の光景かもしれない。坂の上の小学校跡地まで戻ると、与島観光はもう十分満足だ。クルマで坂出まで戻り、ラーメンでも食べるとしよう。時刻はとっくに昼食時間を過ぎていた。(この項、終り) ![]() #
by james_y1964
| 2025-06-15 15:56
| 14インチの旅
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2025年 06月 08日
![]() 輪行袋から自転車を出していると、スタイルの良いご婦人から声を掛けられた。 『おはようございます。たくさん釣れましたか?』 マスク越しに、優しい笑顔が想像できる。その言葉から察するに、バスで来島する人々はもっぱら釣り客ばかりなのだろう。 『あ、いえ、釣りではなくサイクリングです。今から島の見どころを見て回ろうと思うのです。』 妙に律儀に答える私を、楽しんで行ってくださいね、と見送ってくれた。 早朝だというのに、何人かの高齢の方々が現れては挨拶してくれる。温かい島なんだな、と思う。 ![]() 櫃石島全景。島の西側には集落は無く、道路も無いようだ。 観光とはいえ小さい島のこと、さほど派手なスポットがある訳でもない。まあ一時間もあれば十分だろう、と思っていたのだが、輪行時間を差し引けば大して余裕は無い。 (こりゃいかん、急いで見どころを回らねば。) 組みあがった自転車に跨り、脳内に焼き付けた案内板の地図を頼りに島内巡りを開始する。 ![]() 反時計回りに島の幹線道路を進み、最初に訪れたのは坂の上の王子神社。今も巨大化していると言われるキイキ石を見学後、坂を下って歩渡島(ぶどじま)を目指す。
![]() 王子神社。右後方がキイキ石。裏手の丘をよじ登れば、瀬戸大橋直下に 肉薄できるらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 島の南端に浮かぶ歩渡島は、その名の通り歩いて渡れる小島で、コンクリートの防波堤で櫃石島と繋がっている。七福神が住むと伝わる島で、てっぺんに延びる石段の先は藪に包まれて先へ進めそうもないが、眺めは抜群だ。櫃石島の由来になった櫃岩(ひついわ)があるのは対岸の丘の上の様だが、そこまで登る時間は無い。慌ただしく櫃石バス停に引き返して、櫃石島観光は終了となった。輪行が終わると同時に現れたのは入島時に乗った小型バス。児島から引き返してきたのだろう。5人ほどの釣り客が乗っていたが、降りずにそのまま岩黒島へと向かう様だ。 ![]() ループ橋から見下ろす岩黒島住宅エリア。右奥にセミが描かれた 岩黒中学校が見える。 バスは橋の上の“岩黒島”バス停を素通りし、直接島へと下りていく。島内のバス停は“岩黒漁港”の一カ所だけなので、迷う事は無い。ループ橋は瀬戸大橋の東側に付けられているので、バスの大小にかかわらず島に降りられるのは下り便のバスだけだ。島の景観を楽しみながら、バスはグルグル回りながら下りていき、定刻7時18分、岩黒漁港に到着。岡山からの釣り客は全員下車し、空になったバスは与島へと向かっていった。 ![]() ![]() ![]() 『どこから来たんね?』 自転車を組み立てる私に尋ねたのはメガネをかけた地元のおばちゃん。 『県内です、東かがわ市。岩黒島には一度も来たことなかったので・・・』 それだけ聞いたおばちゃんは 『なるほど!』 と元気よく答えて港の方へ歩いて行った。
バス停には櫃石島同様に観光案内板があった。神社が幾つも紹介されているが、私は社寺仏閣にそれほど関心は無い。嬉しいのは、島を一周できる道路がある事だ。ともかく走ろう。あまり深く考えず、反時計回りに坂道を登り始めた。 坂の途中、海側に岩黒小中学校校舎が見えた。その壁面には大きなセミが描かれている。生徒たちのクマゼミの研究が、昭和45年の発表会で中学生部門全国一位に選ばれた事を記念して描かれたものだ。全く古びてない事を不思議に思い帰宅後調べたところ、壁画が描かれたのは2019年と新しい。先輩達の偉業を後世に残したいという想いからだろう。その二年後に中学校は休校、その翌年に廃校となった。当時の在校生達は、母校の未来を感じ取っていたのかもしれない。 ![]()
道路は島の裏手に回り、丘を越えると瀬戸大橋の巨大な橋脚が眼前に飛び込んできた。脇には先ほどバスで下ったループ橋がとぐろを巻いている。道路の脇にはなにやらコンクリートの建造物、その横に仮設トイレが設けられていたので使わせてもらい、坂を下り切ると島の裏側の海に出た。護岸から釣り糸を垂らしている男性に獲物を尋ねると、 『チヌ。』 とだけ、やや愛想のない返事。まだ一匹も釣れていないらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]()
頭上に瀬戸大橋を仰ぎつつ、道なりに進むと見覚えのある漁港に着いた。時刻は7時45分、僅か30分足らずでで島を一周すると、もう他にすることは無い。バスの出発時刻は9時46分なので、二時間も暇を持て余すことになった。漁港周辺をウロウロしつつ、写真を撮っていると、先ほどの『なるほど!』のおばちゃんと再会した。 『もう帰るんかい?』 『ええ、まだ時間はありますけど。確か帰りはエレベーターで橋の上のバス停まで上がるんですよね。エレベーター乗り場ってどこにあるんでしたっけ?住宅地を抜けた奥?』 おばちゃんは首を振りながら、私が最初に上った道路の方を指しながら、 『いやいや、それでもええけど、この広い道を行った方がええで。その方が分かり易い。』 おばちゃんにお礼を言って、岩黒島二周目に向けてペダルを踏む。
エレベーターは先ほどの仮設トイレのすぐ横の建造物だった。周囲の殺風景な風景と『島民御用達のエレベーター』とのイメージが繋がらず、全く気付かなかったのである。 こんなこともあろうかと、組み立て式の椅子をリュックから出し、橋脚の下で軽く昼寝。9時半ごろに自転車ごとエレベーターでバス停に上がる。定刻に迎えに来てくれたバスは、朝よりも一回り大きい中型バスだった。いよいよ最後の島、与島である。もうバスの時刻は気にしなくてよい。(続く) ![]() ![]() #
by james_y1964
| 2025-06-08 15:16
| 14インチの旅
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