最新の記事
カテゴリ
初めて読まれる方へ 『Project究極のランドナー』 『東かがわ市右往左往』 『足の向くまま同行二輪』 『同行二輪特別編・TOMへの道』 『ランドナーレストア入門』 『サンツアーよ、永遠に』 『P.究極のスポルティーフ』 『書斎にて』 『阿讃の峠と温泉と』 四国讃岐の片隅ミーティング 小説『幻の峠』 『スポルティーフで行こう!』 『讃岐旧街道を走る』 『阿波五街道を走る』 シューペル・ランドヌールへの道 旧街道で四国一周! 憧れの旅、とっておきの旅 14インチの旅 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2025年 06月 15日
![]() バスで与島に引き返し、一旦PAに停めたクルマに戻る。時刻は間もなく10時、日曜日ということもあり、PAは賑わいを見せ始めている。 瀬戸大橋開通と同時にオープンしたこのPAだが、かつてガラガラだった時期があった。それも瀬戸大橋ブームの真っただ中で。なぜ?と思われるかもしれないが、本当だ。 PA入口付近に、『第二駐車場』への案内があるが、ガラガラの原因はその場所にあった。クルマに自転車を積み込み、そちらへ移動する。
![]() ![]() 第二駐車場は橋を挟んで反対側。だだっ広い駐車場は雑草に囲まれ、辺りには何の施設も無い。そもそも第二駐車場というものは、メインの駐車場が満車の際に使うためのものだろうが、こんな場所なら案内されない方がマシだ。夜に訪問したら恐怖を感じる程なのだから。 ![]() 駐車場の北側を見れば、この場所がPAの予備駐車場としてわざわざ造成されたものではない事に気づくだろう。現在『関係者以外立ち入り禁止』の柵に囲まれたエリアには、生い茂る雑草の中にヤシの木々が整列している。瀬戸大橋ブームの頃、この場所にはどえらく賑わった商業施設があったのだ。その名も京阪フィッシャーマンズワーフ。 ![]() 廃墟化したフィッシャーマンズワーフ跡地。並び立つヤシの木が空しい。 ブームの絶頂期、その盛り上がりは凄まじいものがあった。ショッピングと記念写真撮影のために、観光バスはこの大型土産物店に大挙して押し寄せたものだ。駐車場から溢れるとバスはその手前で乗客を降ろし、添乗員(つまり前職の私)が店先まで案内する事になる。帰る際にはバスガイドとともに集合時刻に合わせて店舗前に立ち“はーい、バスはあちらですよー”と声を張り上げ、超混雑観光地での定番スタイルで団体客を誘導するのだった。
店内は土産物を求める客でごった返し、人込みをかき分けなければ進めない程。海産物コーナーの売り子の名調子を聴きながら突き抜けると、店の裏手の港に停泊する帆船(に模した船)が目に入る。瀬戸大橋遊覧船、その名も咸臨丸。時間と予算のある観光客はこれに乗り込み、クルージングを楽しむのである。乗船せずとも瀬戸大橋(与島橋)をバックに仰ぎ見るこの桟橋は絶好の撮影スポットで、団体客は我も我もとカメラを向けていたのだった。 ![]() 往時のフィッシャーマンズワーフ裏の桟橋。模擬帆船・咸臨丸が見える。 (画像はお借りしました。) 当時ほとんど全ての観光バスは、反対側にある与島PAなど見向きもしなかった。大型土産物の立ち寄りで得られる送客料(マージン)はバス会社や旅行会社の重要な収入源で、一円にもならない公的PAに入っても何のメリットも無いからだ。 “狂乱の瀬戸大橋ブーム”を象徴するかの様な施設ではあったが、その賑わいは長くは続かなかった。
ブームの終焉後、かろうじて営業していたフィッシャーマンズワーフをプライベートで訪れたことがある。 駐車場はスカスカになり、あれほど賑わっていた店内には閑古鳥が鳴いていた。鯛が泳いでいた生け簀は水が抜かれ、店員はレジのおばさんの他には見当たらない。イベントに使われていたであろうプラ製の椅子が、出入り口の横にだらしなく積み上げられ、やる気の無さを漂よわせている。遊覧船はとっくに撤退し、変わらないのは瀬戸大橋の雄大なロケーションだけ。 あまりの寂れ方に当時、ただただ絶句するしかなかった事を覚えている。
そんな思い出に浸りながら“第二駐車場”を見まわすと、10台近くクルマが停まっている。地元民が利用するような場所ではのないで不思議に思ったが、答えはすぐに分かった。一人の運転者が、抱える程の釣り道具をクルマから下ろしている。なるどほ、と思い、かつての遊覧船乗り場に行ってみると、釣り糸を垂れる人々がそこかしこに。駐車場も桟橋も、今では当初の目的と異なる使われ方をしていたのであった。 ![]() 気を取り直して、与島サイクリングをスタートしよう。与島には何度も降り立った事はあるが、観光客がウロウロするエリアから出たことは無かった。“与島の本当の姿”を見るために、地元島民エリアにお邪魔してみようと思う。 元・フィッシャーマンズワーフ駐車場のすぐ横は住宅街で、クルマ止めが結界の様に並んでいる。観光客でごったがえしていた時代も壁など無く、民家は駐車場から丸見えだったが、観光客があちらのゾーンへ侵入することはまず無かった。 ![]() ![]() 与島中学校(廃校)。 クルマ止めを越え、サドルに跨る。道路沿いの雑貨店は廃業している様子だが、とにかくひと気が無い。横に立つ中学校の建物はさほど古びてはいないが閉校して久しい様で、正門には漁業用の網がぞんざいに被せられていた。 (島の規模のわりに、住宅の数が少ない様な気がするが・・・あ、そうか!) 地図上、与島島民の家々は島の南東海岸に集まっている事を思い出した。目の前の宅地が現代的に区画整備されているところをみると、こちらは瀬戸大橋開通に合わせて開発されたエリアかもしれない。そんな事を考えながら中学校の西側に延びる道路を南下すると、坂の上に体育館の様な建物が見えた。
![]() 丘を上り詰めると、果たしてそれは廃校になっていた与島小学校の体育館だったが、学校の建物は一部しか残されていない。ポツンと立つ二宮金次郎像の脇には重機や瓦礫が放置され、卒業生には見せたくない風景だ。切なくなってきたので一気に坂を下り、島の東側に出た。
対岸に浮かんでいるのは小与島で、ブーム時にわずかの年月だけ営業していたリゾートホテルの廃墟が見える。JR瀬戸大橋線の車窓からも見える建物だ。インバウンドで盛り上がる昨今なら、ひょっとしたら潰れずにすんだかもしれない。 ![]() 海沿いに固まる家々は浦城(うらじょう)集落で、ここが与島本来の中心地なのだろう。古い港町らしく、斜面にぎっしりと民家がへばりついている。更に進むと漁港から防波堤で繋がっている小島、鍋島が見えた。国の重要文化財指定の、鍋島灯台が立つ島である。与島観光のメインスポットとして楽しみにしていたのだが、その入り口には『立ち入り禁止』看板が。柵は解放されているので、その気になれば入れそうだが、やはりルールは守ろうと思う。 ![]() 左が鍋島。徒歩で渡れるのだが・・・ ![]() 来た道路を引き返すのも癪なので、民家の間の細道を登る。両側には見事な石垣が組まれているが、採石で栄えた与島としては当然の光景かもしれない。坂の上の小学校跡地まで戻ると、与島観光はもう十分満足だ。クルマで坂出まで戻り、ラーメンでも食べるとしよう。時刻はとっくに昼食時間を過ぎていた。(この項、終り) ![]() #
by james_y1964
| 2025-06-15 15:56
| 14インチの旅
|
Comments(0)
2025年 06月 08日
![]() 輪行袋から自転車を出していると、スタイルの良いご婦人から声を掛けられた。 『おはようございます。たくさん釣れましたか?』 マスク越しに、優しい笑顔が想像できる。その言葉から察するに、バスで来島する人々はもっぱら釣り客ばかりなのだろう。 『あ、いえ、釣りではなくサイクリングです。今から島の見どころを見て回ろうと思うのです。』 妙に律儀に答える私を、楽しんで行ってくださいね、と見送ってくれた。 早朝だというのに、何人かの高齢の方々が現れては挨拶してくれる。温かい島なんだな、と思う。 ![]() 櫃石島全景。島の西側には集落は無く、道路も無いようだ。 観光とはいえ小さい島のこと、さほど派手なスポットがある訳でもない。まあ一時間もあれば十分だろう、と思っていたのだが、輪行時間を差し引けば大して余裕は無い。 (こりゃいかん、急いで見どころを回らねば。) 組みあがった自転車に跨り、脳内に焼き付けた案内板の地図を頼りに島内巡りを開始する。 ![]() 反時計回りに島の幹線道路を進み、最初に訪れたのは坂の上の王子神社。今も巨大化していると言われるキイキ石を見学後、坂を下って歩渡島(ぶどじま)を目指す。
![]() 王子神社。右後方がキイキ石。裏手の丘をよじ登れば、瀬戸大橋直下に 肉薄できるらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 島の南端に浮かぶ歩渡島は、その名の通り歩いて渡れる小島で、コンクリートの防波堤で櫃石島と繋がっている。七福神が住むと伝わる島で、てっぺんに延びる石段の先は藪に包まれて先へ進めそうもないが、眺めは抜群だ。櫃石島の由来になった櫃岩(ひついわ)があるのは対岸の丘の上の様だが、そこまで登る時間は無い。慌ただしく櫃石バス停に引き返して、櫃石島観光は終了となった。輪行が終わると同時に現れたのは入島時に乗った小型バス。児島から引き返してきたのだろう。5人ほどの釣り客が乗っていたが、降りずにそのまま岩黒島へと向かう様だ。 ![]() ループ橋から見下ろす岩黒島住宅エリア。右奥にセミが描かれた 岩黒中学校が見える。 バスは橋の上の“岩黒島”バス停を素通りし、直接島へと下りていく。島内のバス停は“岩黒漁港”の一カ所だけなので、迷う事は無い。ループ橋は瀬戸大橋の東側に付けられているので、バスの大小にかかわらず島に降りられるのは下り便のバスだけだ。島の景観を楽しみながら、バスはグルグル回りながら下りていき、定刻7時18分、岩黒漁港に到着。岡山からの釣り客は全員下車し、空になったバスは与島へと向かっていった。 ![]() ![]() ![]() 『どこから来たんね?』 自転車を組み立てる私に尋ねたのはメガネをかけた地元のおばちゃん。 『県内です、東かがわ市。岩黒島には一度も来たことなかったので・・・』 それだけ聞いたおばちゃんは 『なるほど!』 と元気よく答えて港の方へ歩いて行った。
バス停には櫃石島同様に観光案内板があった。神社が幾つも紹介されているが、私は社寺仏閣にそれほど関心は無い。嬉しいのは、島を一周できる道路がある事だ。ともかく走ろう。あまり深く考えず、反時計回りに坂道を登り始めた。 坂の途中、海側に岩黒小中学校校舎が見えた。その壁面には大きなセミが描かれている。生徒たちのクマゼミの研究が、昭和45年の発表会で中学生部門全国一位に選ばれた事を記念して描かれたものだ。全く古びてない事を不思議に思い帰宅後調べたところ、壁画が描かれたのは2019年と新しい。先輩達の偉業を後世に残したいという想いからだろう。その二年後に中学校は休校、その翌年に廃校となった。当時の在校生達は、母校の未来を感じ取っていたのかもしれない。 ![]()
道路は島の裏手に回り、丘を越えると瀬戸大橋の巨大な橋脚が眼前に飛び込んできた。脇には先ほどバスで下ったループ橋がとぐろを巻いている。道路の脇にはなにやらコンクリートの建造物、その横に仮設トイレが設けられていたので使わせてもらい、坂を下り切ると島の裏側の海に出た。護岸から釣り糸を垂らしている男性に獲物を尋ねると、 『チヌ。』 とだけ、やや愛想のない返事。まだ一匹も釣れていないらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]()
頭上に瀬戸大橋を仰ぎつつ、道なりに進むと見覚えのある漁港に着いた。時刻は7時45分、僅か30分足らずでで島を一周すると、もう他にすることは無い。バスの出発時刻は9時46分なので、二時間も暇を持て余すことになった。漁港周辺をウロウロしつつ、写真を撮っていると、先ほどの『なるほど!』のおばちゃんと再会した。 『もう帰るんかい?』 『ええ、まだ時間はありますけど。確か帰りはエレベーターで橋の上のバス停まで上がるんですよね。エレベーター乗り場ってどこにあるんでしたっけ?住宅地を抜けた奥?』 おばちゃんは首を振りながら、私が最初に上った道路の方を指しながら、 『いやいや、それでもええけど、この広い道を行った方がええで。その方が分かり易い。』 おばちゃんにお礼を言って、岩黒島二周目に向けてペダルを踏む。
エレベーターは先ほどの仮設トイレのすぐ横の建造物だった。周囲の殺風景な風景と『島民御用達のエレベーター』とのイメージが繋がらず、全く気付かなかったのである。 こんなこともあろうかと、組み立て式の椅子をリュックから出し、橋脚の下で軽く昼寝。9時半ごろに自転車ごとエレベーターでバス停に上がる。定刻に迎えに来てくれたバスは、朝よりも一回り大きい中型バスだった。いよいよ最後の島、与島である。もうバスの時刻は気にしなくてよい。(続く) ![]() ![]() #
by james_y1964
| 2025-06-08 15:16
| 14インチの旅
|
Comments(0)
2025年 06月 08日
岡山・香川両県を繋ぐ瀬戸大橋。その海上部分の橋脚を支えているのは五つの島々で、そのうち二つは無人島。残る三島の最南端、与島にはサービスエリアが設けられ、誰でもクルマで上陸できる。一方、岡山寄りの櫃石(ひついし)島と岩黒島はそうはいかない。瀬戸大橋と島とのアクセスは島民のみが許され、一般人が立ち寄るには路線バスを利用するしかない。 そもそも瀬戸大橋の利用客にとっては単に真上を通過するだけの島々で、失礼な言い方をすれば多くの観光客にとっては“眼中に無い”存在なのだ。橋の上からクルマで降りようにも降りられないのだから、仕方がないとも言えるのだが。
![]() 画像は琴参バス時刻表より しかし、である。これらの島々が文字通り、縁の下で支えてくれているからこその瀬戸大橋。頻繁に利用する者として、一度は表敬訪問するべきだろう。そういう訳で、今回は橋脚を支えてくれている与島、岩黒島、櫃石島をポタリングする事にした。
さて、島巡りのプランニングをどうするか。 駐車場代と時間の節約になるので、与島PAにクルマを駐車。そこから路線バスを利用して櫃石島と岩黒島を訪問しよう。2島訪問後、最後に時間を気にせず与島を巡る、というのが基本計画なのだが、問題はバスのダイヤである。
路線バスは現在、JR坂出駅から各島経由でJR児島駅を往復しているが、定期に運航しているのは僅か四往復。島の大きさから考えれば、岩黒島より櫃石島に時間を割いた方がよさそうだが、これがどうにも上手くいかない。全ての便が往復運航されている関係で、どうやっても最小の岩黒島に長逗留になってしまうのだ。悩んだ挙句にひねり出した計画は以下の通り。
クルマを与島PAに停車 与島PA 5:58発 櫃石島 6:06着 【櫃石島に約1時間滞在】 櫃石島 7:11発 岩黒漁港 7:18着 【岩黒島に約2時間半滞在】 岩黒島 9:46発 与島PA 9:50着 【与島に約2時間?滞在】 クルマで帰路へ
仕事柄、朝が早いのは苦にならない。今回の相棒は14インチの折り畳み自転車、キャプテンスタッグ・リライト(改)。手早く輪行できるだけでなく、そもそも路線バスに持ち込みが許されるサイズとなると、選択肢は他に無いだろう。
![]() ![]() 2025年6月1日(日)、与島PAに5時35分到着。閑散とした早朝の駐車場を横切ってバス停に向かう。定刻に現れたのは定員十数名の小型バスで、客は私以外一人もいない。 ![]() バスは瀬戸大橋に上がり、僅か数分で路肩に設けられた岩黒島バス停。釣りに到着。釣り道具を携えた中年男性が一人乗車してきたのだが、一つ気になった事があった。 事前情報では『岩黒島へはバス停からエレベーターで乗降する』とあったのだが、登り車線(岡山方面行)のバス停にはエレベーターが見当たらない。こういう些細な疑問は早めに解消しておきたい。私はおずおずと男性に尋ねた。 『あのー、初めてなので教えてもらえませんか。下り車線にはエレベーターが見えてますが、こちら側にはありません。上りに乗車する場合は、階段で上がってくるのでしょうか?』 『いやいや、むこうのエレベーターを使います。橋の真下に連絡通路があって、そこを通ってこちら側に渡るのです。』 我ながら間抜けな質問をしたものだ。少ない利用客の為に、わざわざ両側にエレベーターを設ける必要など無いのだ。恥ずかしくなった私に、男性は更に説明を続けてくれた。 『このバスは小型ですから下り便は岩黒島まで下りてくれますが、この後の便は一回り大きいバスになります。そちらはバス停で下車して、エレベーターで島に降りなければなりません。』 時刻表の停車箇所がチグハグになっているのはその為だったのか、と納得する。
そうこうするうちにバスはループ橋に入り、櫃石島へと下り始めた。そろそろ“櫃石島”バス停だな、と車内表示を見ると、次の停車箇所は『櫃石ゲート前』となっている。見えてきたバス停は、ループ橋を下り終えてすぐの場所で、藪に囲まれた道端にしか見えない。 (おいおい、時刻表にはそんなバス停は無かったぞ?どうすりゃいいんだ?) 時刻表では“櫃石島”“櫃石学校前”“櫃石”という順番に停車するはずで、私は深く考えず、名前からして、てっきり最初の“櫃石島”というバス停がターミナル駅だと思い込んでいたのだ。
一瞬慌てた私を見かねたのか、先ほどの男性が助け舟を出してくれた。 『ここじゃなくて、二つ先の“櫃石”バス停がいいですよ。待合室もトイレもありますし。』 『あ、じゃあそうします!』 バスはそのまま進んで“櫃石学校前”を通過、定刻6時10分に“櫃石”に到着。このバス停こそがターミナルの役割を果たしている様で、この辺りが島の中心部らしい。どうやら“櫃石ゲート前”イコール“櫃石島”だったようだが、時刻表と現地の表記が不一致な理由は分からない。これから岡山に帰るという男性にお世話になったお礼を言い、バスを見送る。自転車を組み立て、念願の櫃石島観光の始まりだ。(続く) ![]() #
by james_y1964
| 2025-06-08 08:00
| 14インチの旅
|
Comments(0)
2025年 02月 24日
ビンディングシューズが主流の昨今、トウクリップ・ストラップ対応の靴、いわゆるフラットペダル用シューズの選択肢は少ない。 その上、いつものごとく私の変なこだわりを満たす靴となれば、もういくら探しても見つからない。 その矛盾だらけのこだわりを、忘備録代わりに羅列してみると次の通り。
(1)自転車専用(競技用含む)的なデザインは嫌、“普通の紐靴”が良い ここでいう専用の靴というのは、現代で言えばアイズバイシクルで販売している本革のサイクリングシューズをイメージして頂きたい(詳細は後述)。 学生時代のサイクリングはアシックスのスニーカー(ジョギングシューズ)でペダルを踏んでいた。サイクリングである以上、歩く時間より自転車に乗っている時間の方が長いので、自転車専用の靴を履いた方が合理的ではある。 しかし私にとっての自転車旅は、見どころで下車して散策する事も含まれる。軽くて歩きやすくて、運動性の良い、となると当時は『スニーカーの方が良い』と思っていた。ニューサイクリング誌を目にする機会が無かったわけではなく、年長マニアが愛用する専用シューズの存在は知っていたものの『かっこつけんじゃないよ!』という、若さゆえのアンチテーゼな部分もあったのだ。
(2)靴底は固いものが良い そうは言っても柔らかいジョギングシューズの底はペダルプレートに食い込んで力が逃げるし、足裏が痛くなる。どうしたものか・・・と悩んでいたところに登場したのがアシックス・ガントレだった。 ![]() サイクルスポーツ誌にも好意的な記事が載せられていた事もあり、これだ!と思って購入したのがまだ高校生だった頃。大学サイクリング部に入部するまで使っていたのだが、正直、サイクリングに向いているとは思えなかった。本来岩場用のゴツいゴム底には大きな凸凹が設けられ、トウクリップに足先を出し入れする際に引っかかり、不便でしかなかった。 おまけに布地のアッパーは縮みこそすれ伸びはせず、幅の広い私の足には合っていなかった。その窮屈さに閉口し、やがて普通のスニーカーに戻ったのであった。 (3)本革製の靴もいいなあ 早速矛盾が始まったが、これは大人になってから、色々と情報を得て好みの幅が広がった為である。冬場はメッシュ地のスニーカーでは足先が凍える。デザインさえよければ合成皮革でも良い。手入れを怠らなければ長く使えるという事は、道具としての所有欲も満たされる。 とは言え冒頭に申し上げた通り、いかにも自転車専用ですよ、といった風情は天邪鬼な私には抵抗がある。ある日ネットを徘徊していて目に入った言葉が『レザースニーカー』。つまり革製のスニーカーというジャンルで、(なんだ、昔からあったんじゃないか!)と思って早速物色始めたのだが・・・ (4)踵(かかと)が欲しい レザースニーカーのデザインは、当たり前だがスニーカーの形をしている。つまり踵が無い。ゴム底が平坦なのだ。 自転車を降りて歩くことも想定している私にとっては、どうしても踵がある靴が良いのだ。実用上はほとんど関係があろうがなかろうが、そこのところはこだわりを捨てたくない。 ![]() 踵があって革靴で自転車用で・・・となると、前述のアイズバイシクルが販売している、【ルノン・ヴィンテージ】が候補に挙がる。 ![]()
しかしこの靴、ガサツな私にはあまりにも上品過ぎて、敷居が高過ぎる。更に自転車専用の靴なので、つま先は完全なフラット。クリップの出し入れには便利だと思うが、時には砂利道も押し歩くサイクリングには問題ある・・・というよりもったいない。 ******************************* ここまで来たら、もう矛盾の積み重ね、自縄自縛の底なし沼だ。最大公約数で選択するしかなくなってきた。 一時期販売されていた某サイクルショップのオリジナルシューズがかなり理想に近いものだったが、靴だというのにサイズは飛び飛びで“中底で調整してください”というふざけた文言が添えられているのを見て却下。思い付きで販売したとしか思えず、売り切った頃には販売は終了していた。
(私の欲する靴は・・・要するに存在しないのだ。) そう悟った私は、遅ればせながら方針を変更する事にした。 靴量販チェーン店の激安シューズを入手し、“安物履き潰し作戦”に出たのだ。 買ったのは黒い合成皮革のウォーキングシューズ(1,980円!)。クッション性に優れ、軽いのは気に入った。そのままでは芸が無いし余りに安っぽ過ぎるので、ブーツ用の靴ひも(数百円)に交換してドレスアップ。もう完全にウケ狙いである。見栄えはなかなかのもので『どうです、イチキュッパには見えないでしょう!』と仲間に見せびらかしていたのだが・・・ ![]() すり減り、天寿を全うしたと言っていいだろう。合掌。
所詮は激安商品、使っているうちにみるみるヘタって来たのである。クッション性は霧散し、履き心地は草鞋(わらじ)状態。ペダルプレートは足裏に盛大に食い込む。アッパー表面は剥がれてボロボロになっり、見栄えも防水性もあったものではない。 (もう限界だ、同じものを買いに行こう。) ところが件の量販店に赴いたところ、同じ靴は見当たらない。どうやら一時的な処分品だったらしく、同等程度の商品も、無い。“安物履き潰し作戦”はあえなく頓挫したのであった。
******************************** 必要に迫られた私はここにきてようやく“ちゃんとしたサイクリングシューズ”の購入を決意。高くてもいいから、良い物が欲しい。完璧でなくても良いから、できるだけ理想に近いものを入手しよう。散々ネットを渡り歩いて情報を集め、最終的に購入したのが“ノースウェーブ・フリーランド(2023モデル)”である。 ![]() MTBフラットペダル用シューズにカテゴライズされている靴である。 スニーカー的な飾らないデザイン。昔から信頼の厚いビブラムソール(つま先部は薄くなっていてクリップの出し入れに支障をきたさない)。土踏まずは確保されていて、一応踵はあるように見える。 ![]() 取り扱い店がイナカには無いので、やむを得ず通信販売で購入。試履できないリスクはあったが、まあこんなものだろう(少し幅が狭いが伸びる事を期待)。例によってワークブーツ用の靴紐に交換して“自転車専用シューズじゃないんだぜ感”を演出。
ようやく決まった究極のサイクリングシューズだが、全く不満が無いわけではない。クリップやストラップが接触する部分を補強するデザインではない点、サイズは本当にこれで良かったのか、何年使用できるものなのか・・・実際に使ってみないとわからない点も多いが、今のところ、この靴を凌ぐ製品は見つけられていない。春の仲間とのサイクリングで、皆に自慢する事が楽しみな今日この頃である。 (この項、終り) #
by james_y1964
| 2025-02-24 10:02
| 『Project究極のランドナー』
|
Comments(2)
2025年 01月 12日
土佐街道の旅を終え、私はネットで情報を確認しながら原稿を書いていた。 高知県側の旧街道の情報はほとんど無いが、愛媛県側のそれは案外多く、同じルートを踏破した方も少なくない。そんなネット記事を読みながら、私は悦に入っていた。 (ふふふ、そこは私も訪問したぞ。そうそう、こんな景色だった。)
ニヤニヤしながらネット記事を徘徊していたのだが、とあるHPの画像が目に入った途端、私は驚きの余り、椅子からずり落ちそうになった。
(五里石が・・・あるじゃないかっ!!) 竹井賢二氏『愛媛ぶらぶらある記』画像はこちらのリンク先からご覧ください。 三坂峠手前あたりに設けられていた五里石は、昭和48年の時点で行方不明になっていたはずだ。それがなぜか、松山市内の須賀神社境内に立っているという。場所を調べると、私が訪問した二里石のすぐ近く。 (しまった!それならぜひ立ち寄るべきだった!)
後悔先に立たず。しかし私が驚いたのは、それだけではなかった。 何と、同様に四里関のレプリカも設置されていたというではないか。このあたり、すぐそばを走っていたはずなのに、なぜか全く気が付かなかったのである。 復刻四里石は最近になって設置されたものかも知れず、ある意味しかたない。私が愕然としたのはその脇に、遥か昔に川底に蹴落とされていたはずの、本物の四里関の上半分が安置されていた事だった。いったいいつの間に、誰が見つけ出したのだ? 上記の情報は幾つか他のサイトでも紹介されているので、どうやら私が知らなかっただけらしい。トレース地図までお膳立てしてくれている愛媛県教育委員会の報告書だけで、これで十分と満足していた私の落ち度であった。情報が古いとは分かっていたが、なにせ旧街道の事、むしろ古い方が良いとまで考えていたのがアダになったのだ。 私はすっかり混乱してしまった。疑問点を整理してみると次の通り。
①四里石のレプリカはいつ設置されたのか。 ②本物の四里石の発見と保存・設置の経緯。 ③五里石はいつから須賀神社に保存されていたのか。 (98年発行の県教育委員会の調査資料には全く触れられていない) ④須賀神社の五里石はそもそも本物なのか。
これら疑問点は、いずれ愛媛県教育委員会に問い合わせしてみたい。 いずれにせよ、伊予の里石巡りはいつかリベンジするべき案件として残ったのであった。 (この項、終り) #
by james_y1964
| 2025-01-12 05:56
| 旧街道で四国一周!
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||