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2015年 11月 22日
『さあツヨシ、出かけるぞ!』
『・・・その呼び方はよせって。え?今から?』 『説明は後だ。時間が無い。』 『おいおい、久しくメンテもしていないんだぞ!フレームは埃だらけだし・・・』 『チェーンに注油して、サドルオイル塗って、と。じゃ出発。』 『埃くらい払えよ!』 11月15日(日)。質実剛健号(通称ツヨシ)をクルマに積んで、慌ただしく出発。週末毎に雨は降り、紅葉は早くも散り始めている。今日を逃したら、もう秋シーズンは過ぎ去ってしまう。そんなわけで、ドタバタと出発を決めた訳である。 長尾街道バイパスから大窪寺方面に入り、清水峠方面へ。県境を越え、クルマを更に南へ進める。 『ところで、我々はどこに向かっているのだ?』 『未踏のエリアを探検だ。塩江街道から東に延びる謎の道。』 『うーん、前にもこんなパターンがあった様な・・・』 以前から気になっていたその道は徳島県道105号線。美馬市の山中、讃岐山脈の稜線から国道193号線の徳島県側に合流するルートである。 ちなみに地図の右側にある県道3号線は名ばかりの主要地方道で、 悪名高い“険道”。悪路マニアに知られる通称109峠は自衛隊に よって開削された道で、いわゆる阿讃の峠にはカテゴライズ されないのが一般的である。ルートラボはこちら。 『で?なんでその道が気になるの?』 『いわゆる“阿讃の峠”を越える街道のルートって、徳島県側では一気に山を下って撫養街道に交差するのが一般的だ。吉野川沿いの平野部が狭いから、おのずとそうなる訳だな。ところがこの道は例外で、塩江街道に合流してしまうのだ。』 『ちょっとこじつけ感があるなあ。吉野川の支流沿いの集落に沿って延びてる道、ってだけじゃないか?』 それを言っちゃあオシマイなのだが、何事も杓子定規に考えがちな私にとって、この道にどうしても特異な要素を感じてしまうのだ。 讃岐と阿波を繋ぐ街道のピークにあるのが阿讃の峠であり、そんな側面から街道を紹介する文献には、このルートはほとんど出てこない。更にこの道が讃岐山脈を越える峠は、他の“阿讃の峠”とはいささか異なる様相を持っている。この点に関しては後述するが、ともかく私にとっては色んな意味でぼんやりとしたイメージの道なのである。 『地図を見たら、神社や学校もある。山奥の何も無い細道という訳でもなさそうだし、オマエの言う通り、東俣名(ひがしまたみょう)エリアの集落を結ぶ道、ってところだろうな。しかし走ってみたら、案外面白い発見があるかもしれん。』 『紅葉も見納めだろうし、相棒がそう言うなら付き合うよ。』 『心配なのは天気だな。予報では回復に向かうはずなんだけど・・・』 頭上に広がる分厚い雨雲は今のところ、早朝から居座ったまま動こうとしない。 11時10分、取り付き地点の落合に到着。県道105号線はここから東俣谷(ひがしまたたに)川に沿って、讃岐山脈の稜線まで伸びている。落合から遡上し、国道377・139号線経由でデポ地に戻るプランである。ルートを下りではなく登りに設定したのは、沿道をじっくり観察したかった為。距離も短く、今回は激坂も無さそうだ。 東俣谷川は落合で曽江谷(そえだに)川と合流した後、一級河川吉野川に流れ込む。曽江谷川にかかる落合橋を渡るとすぐ左にあるのが江原北小学校。その校門の前に、≪ふるさと発見マップ≫と書かれたフルカラーの案内板が設けられていた。 『分かり易い案内板だなあ。何々、地図に載ってる山奥の小学校って、江原東小学校っていうのか。けど休校中かあ・・・』 『寂しいけど、そんなご時世なんだな。とはいえ学校があるという事は、それなりの規模の集落は昔からあったという事だ。さて、出発するとするか。』 学校に郵便局、病院と商店を抱えた集落を抜けると、沿道はいきなり何も無くなった。路面は良いが、単調な道が山の中に向かって延びているだけである。 『おいおい相棒、ずっとこんな道が続くとしたら・・・ちょっと退屈かも。』 『うーん、期待外れかもしれんが・・・ま、とりあえず進もうか。』 ごく小さな集落が現れては消え、消えては現れる。坂は緩やか、そこそこ変化もあって思った程は退屈しない。 啓発看板。 『ところで相棒、さっきから橋や川の名前の看板がやたらと多くないか?』 『うむ、私もそんな気がしていた。珍しい名前もあるし、これはなかなか面白いな。』 ≪阿瀬比谷川≫≪金川≫≪百々(どうどう)橋≫≪七社(しちしゃ)橋≫等々。か細い流れやそれを跨ぐ小橋にすら、いちいち名称を掲げているのである。 『ひょっとしたら行政の担当者、意地になって看板を立てまくったのかも。』 『それは無いと思うけど・・・』 冗談はさておき、古い地名を残そうという趣旨ならば、大いに称賛すべき事だと思う。 道路右側に立派な石鳥居が見えてきた。 『≪金川七社神社≫か・・・という事は、この先が金川集落だな。』 『休校中の小学校があるところか。』 道路両側に田畑が開け、まとまった集落が現れた。カーブを曲がった先、道路から右に見下ろす小さな学校が、休校中の江原東小学校である。 二階建てでシンプルな造りの本校舎が一棟、その向こうのやや古い建物は体育館か。裏に回れば、これも古い木造の棟が、本校舎と渡り廊下で繋がっている。入口には≪金川集会場≫の木札。 『この建物が旧校舎で、新校舎が建て増しされたんだろうね、きっと。』 『そうかもしれんな。しかし廃校ではなくて休校という事は、いつかきっと再び・・・』 『・・・相棒、そろそろ出発しよう。』 『・・・そうだな。』 私の母校、丹生小学校は数年前に廃校となり、現在その跡地は完全な更地になっている。 金川集落から更に古屋敷集落を抜けると、大窪寺への案内板が見えてきた。四国八十八番札所、大窪寺は正面の山を越えたすぐ裏にある。道は再びうら寂しくなり、右側に並走する東俣谷川も源流近い風情を帯びてきた。 『お?相棒好みの案内板があるぞ。』 いい感じの淵の脇には≪犬泣き淵≫の看板。道の反対側には詳しい案内板と石仏が二体ある。 『ふむふむ、猟犬が飲み込まれたという悲運の淵、か。綺麗な淵なのに、昔は難所だったんだな。』 『それにしても、案内板の解説の“東俣名にある数少ない名勝”ってのが、ちょっと自虐的じゃないの?』 『そこ、突っ込まない。』 犬泣き淵を過ぎると県境の集落、御所野に入る。平坦な道を抜けると、あっさり県境に着いた。 『あれ?もう県境?峠らしい峠は無かったけど・・・』 『峠は無いけど、ここはもう讃岐市菅谷集落。で、もうちょっと進むと・・・ハイ、ここが菅谷峠。菅峠ともいうらしい。』 『よくわからんなあ・・・。』 平野部が開けていると考えると、なんだか不思議な気分にもなる。 清水峠や境目も同様で、県境と峠が一致していない事と因果関係が あるかもしれない。 菅谷峠は一応、文献では阿讃の峠の範疇に含まれているが、県境にはなっていない。我が心の師、古市寛氏は著書『讃岐の峠』の中で次の通り書かれている。 峠が国境でない特殊な例として、県道市場津田線(筆者注・徳島県阿波市境目、厳密には峠ではない)、多和脇線の県境をあげることができる。(中略)多和脇線の県境は、菅峠から下り勾配訳1,000米の距離の所にある。これなどは、正に例外中の例外、国境について、その変遷を調べてみるのも面白いことであろう。 つまり菅谷峠の実態は阿讃の峠ではなく、讃岐の峠なのだ。 『国道193号線の清水峠もそうなんだよ。ただ、境目は大窪寺への参拝道でもあったし、清水峠は借耕牛の往来に賑わった旧街道だけど、この菅谷峠はどうもそう見えない・・・ような気がする。』 『撫養街道に直結していないから、か。』 『そうなんだよなあ。ま、それはともかく、以前から気になっていた菅谷峠の姿を拝めて良かった。』 『天気も持ってくれたしね。最初はどうかと思ったけど、結構味のあるコースだったなあ。』 『そうだな。勾配も緩かったし、風情ある穴場コースと言っていいだろう。さて、あとは飯食って帰ろう。今回は弁当持参だから、どこか良さげな場所を見つけて休憩するとしよう。』 『弁当とは珍しいな。さては金欠対応だな。』 『そうだったんだけど・・・慌てて出発したから、カメラにSⅮカード入れ忘れてしまったのだ。』 『あ、それで途中、コンビニに寄ってたのか。』 『くっそー、無駄な出費だ!せっかく節約できたと思ったのに・・・ううううう』 『そんな事で泣くなよ!』 沿道の広場で広げた妻の手作り弁当は涙の味がしたのであった。 (終り) これまた味わい深い道!
by james_y1964
| 2015-11-22 20:31
| 『足の向くまま同行二輪』
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Comments(2)
う〜ん、お弁当!いいですね、愛妻弁当。
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Commented
by
james_y1964 at 2015-11-23 22:21
shinさん>ま、たまにはね(笑)。とにかく金欠警報が出てます故、なんとしても切り詰められるところは切り詰めて、と(切実だなあ・笑)。
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