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2012年 05月 20日
室戸岬の山と海(後編)
(前編から続く) 国道55号線を南下して室戸岬へ向かう。流石に腹が減ってきたが、ここは下界の国道沿い。ラーメン屋くらいあるだろう・・・と高をくくっていると、道路沿いの風景はどんどん寂れ、いよいよ何にも無くなった。 どうやら奈半利の中心街は国道の合流地点の右方向、つまり私はどんどん郊外に向かって走っているのだから当然だろう。これは参った、と思いながら走っていると、左側に小さいスーパーマーケットがある。見れば入口脇にテーブルと椅子が設けられ、ちょっとした食事もできそうだ。これ幸いと入店。 店内はスーパーと言うより大き目の乾物屋兼コンビニといった佇まいで、レジの横には揚げたての天ぷらや総菜の類がずらりと並んでいる。思うに、この街道をツーリングする自転車やオートバイのツーリスト御用達の店なのだろう。カップラーメンとおにぎりの昼食を済ませて店を出る。大きく書かれた店の名前は≪ショップヨシダ≫であった。 再びサドルに跨ると、尻に激痛が走った。 (・・・どうした事だ。まだ半日しか走っていないというのに。) 我慢してペダルを踏み続けるが、どうにも我慢できなくなってきた。付けている革サドルは新品で、装着してからまだ100キロ少々しか走っていない。十分馴染んでいないのは仕方無いが、何か違和感を感じるのだ。クロワッサン(サドル裏側の金具)部に腰骨がまともに当たっている感が否めないのである。サドルの位置はこれ以上後ろへ動かせない。尻の位置をずらしてみたり、フォームを変えてみたりと色々試してみたが、一向に解決しない。 (これは堪らん!) とうとう私は自転車から降りて、道端にへたり込んでしまった。 ![]() 起きてはいるが、同列に考て良いかどうか。私のサドルは新品からほとんど変形して おらず、尻に合わないと決め付けるのは早計かもしれない。が、とにかく痛くて 堪らない。 それではなぜ今まで傷みが気にならなかったのか。よくよく考えてみると、今日前半は峠の登りコースで、ほとんどサドルに体重が掛かっていなかったのである。となると尻の傷みを打ち消すには、ひたすら立ち漕ぎするか、少なくとも全力でぺダリングし続けるしかないだろう。 ヘタる私を、二人組のロードバイクが追い越していく。いつまでも座り込んでいる場合では無い。私は意を決して再びサドルに跨り、彼らを追いかけ始めた。 若い彼らは巡航速度かもしれないが、こちらは必死のぺダリングである。 (この野郎、こちとらお前さん達が生まれる前から自転車に乗ってるんだ!ほうら、煽ってやるから休まずに走りやがれ!) 別に彼らに恨みは無いが、そんな憎まれ口でも叩かないと気が紛れない。もっともどんなに強がってみても、足は言う事を聞いてくれず、あっという間に息が上がる。ふと見ると道路脇に『吉良川の町並み保存地区』の看板が立っているではないか。 (これはいい。滅多に来る事の無いエリアだ、せっかくだから是非見ておこう。) 根性無しの私はロードバイクを見送り、急遽、古い街並みを散策する事に決定。 全国各地に『古い街並み』は数あれど、吉良川集落はなかなか見応えがあった。決して規模は大きくは無いが、ここでしか見られない水切り瓦の土蔵群など、もっと知られて良い観光スポットだろう。2011年に世界ジオパークに認定された室戸岬周辺部と共に、今後更にメジャーになるかもしれない。 ![]() 高知県で初めて国指定重要伝統的建物群保存地区に指定されているとの事 (パンフレットより)。 ![]() 再びサドルに(尻を浮かせながら)跨り、更に南下する。道の駅・キラメッセ室戸で売店を眺めた後は、ひたすら走る。立派な道路だが、走る車の数は知れている。ときたまモーターサイクリストやロードバイクが追い越し、対向するが、ランドナーに会わないのがちょっっぴり寂しい。 室戸市中心部を過ぎる辺りから、前方に岬の突端が見えてきた。残り僅か5キロ程のはずだが、単調な風景のせいで、どうも距離感が掴めない。気が付くと目に前に≪室戸・阿南海岸国定公園≫の標識が立っている。いつの間にか、室戸岬にあっけなく到着していたのであった。 ![]() ![]() ![]() 岬の突端ギリギリに、小さな民宿や旅館が立ち並んでいる。観光客相手と言うより、二十四番札所・最御崎寺へ参るお遍路さん向けだろう。反対側の足摺岬とは対照的な風景だ。中岡慎太郎、そして青年期の空海の像が立つ岬エリアは観光客で賑わっているが、私の尻は既に限界に達していた。 時刻は16時30分、日没までまだ時間はあるが、我がスポルティーフの電装は貧弱で、万が一の事を考えるとナイトランは避けるべきだ。何より尻の傷みをこれ以上我慢できない。 (ダメだ、とてもあと30キロも走れん。もう泊ろう。) 観光案内所に飛び込み、当日の空き部屋を探してもらう。ところが岬周辺の宿はことごとく満室。尻を抑えて焦る私に、ようやく窓口嬢は一件の宿を見つけてくれた。 『ここから少し先になりますけど、ロッジ室戸岬という所に空室があるそうです。』 『ロッジというと、洋風のペンションみたいなところですか?』 『・・・いえ、遍路宿といった方がいい感じのお宿です。』 一路、岬を後にしてロッジ室戸岬に向かう。岬周辺には弘法大師ゆかりの見所が沢山あるのだが、もはやそれどころでは無い。ほとんど立ち漕ぎで走る事10数分、目指す宿は国道脇に建っていた。 グループ利用を想定した大きな浴場、必要十分な食事、そして既存の民家を改造したのか新築したのか分からない素朴な建物。宿泊料も良心的で、朝食も早朝出発に合わせてくれるのは遍路宿ならではだろう。この日の宿泊客は私以外には男性のお遍路さんが2名だけだった。 決して派手さは無いが、私の好みの宿であった。夕食後はテレビを見る以外にする事が無い。ある意味物凄く贅沢な夜は、ゆっくり、静かに更けていくのだった。 ![]() 翌朝、6時20分に出発。あとはデポ地に向かって走るだけである。尻の傷みは昨日程では無い。クルマまではどうにか持つだろう。海岸線の単調な道を、私は再び走り始めたのだった。 (この項、終り) ![]() ![]() ![]() ![]() 2012年 05月 20日
室戸岬の山と海(前編)
予定通りと言うか予想通りと言うか。今年もGWの前半は実家の田植えの手伝いで消滅するも、どうにか最後の二日間の休日を確保できた。欲求不満、とにかくがむしゃらに走りたい。となると、ランドナーよりもスポルティーフの方がふさわしい。問題は何処に行くか、である。 二日もあれば何処にでも行けそうだが、あいにく私のスポルティーフは輪行仕様では無い。そもそも遠征する程の軍資金が無い。となれば、おのずと四国島内、マイカー輪行で行ける範囲になる。おまけに私のスポルティーフは今時のツーリングマシンとは思えないクロスレシオで(F:50×39、R:13~22)、選択肢はおのずとフラットなコース中心にならざるを得ない。 しまなみ海道にするか、それとも道後温泉まで突っ走る“一人ブルベごっこ(片道200キロ)”も面白いではないか・・・とも考えたが、どちらも帰路の設定に難がある。クルマ輪行はどうしてもデポ地に戻らなければならず、ループを描くコースに縛られてしまうのだ。道後温泉は魅力だが、来た道を引き返す“400キロ一人ブルベごっこ”は、あまりに厳しく、空しい。 2012年5月5日(日)、晴天。徳島県海陽町、高知県境に近い道の駅・宍喰温泉に到着。時刻は既に午前9時を回っている。例によって準備に手間取り、出発が遅れたおかげである。ここにクルマを停めて置き、四国の東南端、室戸岬を目指すのだ。無論サイクリング終了後、温泉で汗を流す魂胆である。 コースはこちら、ルートラボを参照ください。 室戸岬は20年以上前に先代の愛車、シルクと共に訪れた事がある。久々の訪問だが、海岸線の国道は交通量も少なく、総じてアップダウンも大した事は無い筈だ。頑張れば私の貧脚でも日帰りできるだろう。スポルティーフにはうってつけのコースである。 もっとも単純にピストンしたくはないので、まず山側から岬の反対側に出て、海岸線を回ってデポ地に戻る事にした。前半は峠越えになるが、今回は全線国道である。そう厳しくもないだろう・・・という甘い考えであった。 ![]() 自転車をクルマから下ろし、出発。太平洋を左手に見ながら、早速の登りである。スタート直後で張り切っている為、全く苦にはならない。が、高知県境を越えるとすぐに大きな駐車場が現れ、『海の駅』という看板が目に入った。駐車場の向こうは海水浴場、大きなホテルも隣接してある。 (しまった、こっちをにクルマを停めればよかった)と後悔する。僅か数キロしか離れていないが、こちらをデポ地にすれば、高知県内でコースが完結するのだ。移動だけの為に2県をまたがった事が、どうも面白くない。 ![]() 海岸線の道を登り、トンネルを越えて見下ろす海にはサーファーが溢れている。持参した地図には≪毎年世界大会も開催されるサーファーの聖地≫とある。海岸にはハワイアンなショップが立ち並び、その前にたむろするのはいかにもサーファーっぽい兄ちゃん姉ちゃん達。場違いな私は逃げる様にペダルを踏む。 ![]() 掲げる様である。染められた絵柄や文言には様々なバリエーションがあり、 実に興味深い。 小さな集落に寄り道して国道に戻ると、山側ルートへの分岐を示す標識が現れた。ここを右折して国道493号線を走り、岬の反対側の奈半利(なはり)町に抜けるのである。このルート、地図には≪旧土佐浜街道≫とあり、歴史ある街道らしいのだが、今回はほとんど下調べをしていない。取り付き地点からピークの四郎ヶ野峠(標高490m)までの距離が嫌に短い様な気がしたが、あまり深く考えない事にする。 ![]() ![]() 右折し、野根川沿いの道に入ると、目の前に広がるのは青葉茂る山々。すがすがしい風は快適で、見上げるる空には雲ひとつ無い。来て良かった、としみじみ思う。が、のんびりムードはその辺りまでであった。 ![]() 野根川を渡って山手に取り付いた途端、道路状況は一変する。道幅は一挙に狭まり、『落石注意』『山岳道路』というおどろおどろしいい標識が設けられているではないか。 ![]() (やられた)と思うが、幸い路面はそう悪くはない。クロスレシオのスポルティーフにはかなりキツい坂を、ヒイヒイ言いながら登る。 ![]() 写真撮影兼小休止を繰り返して登り続けると、ヘアピンカーブに≪芝御茶屋の段≫と書かれた立派な案内板が立っている。殿様も籠から降りて休憩を取った場所らしく、それに倣って私もサドルから腰を下ろしてボトルから水分補給。脇にはもう一枚説明版があり、それによれば ≪この大カーブの左下方が、四郎ヶ野峠から野根へ至る旧街道の難所 左手ヶ坂です・・・(後略)≫ (そうか、やっぱり難所だったのか。) キチンと地図を見れば始めから分かる事だが、今回は平素以上に準備不足。と言うより、学習能力が無い私はヨレヨレになるまで気付かないのである。国道から反れる古道には街道の目印にもなった大杉の古株も残されているらしいが、寄り道する時間も体力も惜しい。重い腰を上げて、再びサドルに跨った。 ![]() 殿様の籠を左肩に担いで横ばいで進まなければならなかった事から由来する。 四郎ヶ野峠には芝御茶屋の段から10分程で到着した。木々に囲まれた峠はベンチや公衆トイレも設けられており、四国のみちに指定された古道の登り口になっている様だ。案内板の前で記念撮影しようと思ったが、その真正面にS13シルビアが居座っている。周囲に人影は無く、おそらくマナーの悪いハイカーがここに駐車して出掛けたのだろう。仕方が無いので斜めから苦しいアングルで記念撮影。案内板以外には見るべき物もないので、早々に出発する。 ![]() ろくに等高線を見ない私は(まだこの先、多少はアップダウンはあるだろう)と覚悟していたのだが、登り坂が現れる気配は無い。新緑溢れる舗装路の下りが延々続いてくれる、最高のダウンヒル。今回のサイクリングの主役はあくまで後半の海岸線ルートであり、前半の山道はオマケだったはずなのだが、それを忘れてうっとりする程である。 ![]() ![]() ![]() ![]() 平鍋集落を過ぎると道路はようやく平坦になり、アップダウンが混じり始める。中岡慎太郎館に立ち寄ろうかとも思ったが、今回はあくまで走る事が主目的。観光はお預け、ひたすら下界を目指して13時20分、国道55号線に出る。ここから再び海岸線に戻り、いよいよ室戸岬を目指すのだが、ぼつぼつ時間が厳しくなってきた。 ![]() (いざとなったら民宿にでも飛び込もう。なに、連休といっても一部屋くらいなんとかなるさ。) 楽観的な私だったのだが、実は時間とは別の問題が、じわりじわりと起き始めていたのである。 (続く) 2012年 05月 13日
結婚の報告
![]() 私達、この度結婚しました。 海へ山へ、どんどん走りに行きたい気持ちは二台とも一緒です。 まだまだ未熟な私達ですが、これからもご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。 2012年5月13日 質実剛健号・流麗可憐号 遅ればせながら、ようやく地元で挙式する事ができました。 剛(ツヨシ)と麗(ウララ)、二台っきりで、地元の海辺で。ちょっと羨ましいぞ。 機会がありましたら日を改めて、ぜひ披露宴の場を持ちたいと思います。 まずは報告まで。 乗り手、ジェームス吉田 2012年 04月 22日
お腹いっぱい、桜と峠(後編)
(前回から続く) 蕎麦を諦めメニューを開きかけると、店員さんが 『申し訳ありません、ただ今ご用意できるのが炊き込みご飯セットと古代米カレーだけなんですけど、よろしいでしょうか。』 せっかくなら普段食べられない物をと思い、古代米カレーを注文。美味しい事は美味しいが、(へえ・・・)という印象の方が強く残る味だった。 ![]() 『そろそろ出発しないと、後がしんどいぞ。』 ツヨシに急かされ、店を後にする。この店のすぐ先に、当初デポ地に予定していた≪道の駅・温泉の里神山≫があるのだが、なんと駐車場は満杯、国道に溢れたクルマが大行列を成しているではないか。 『ははあ、どうやら我々と同じ、花見が目的のハイカーの様だな。さっきの店にパンレットがあったんだけど、ここ神山町は“花”が大きな観光資源らしい。春先には桜だけじゃなくて、梅やツツジの開花に合わせて、色んなイベントが盛りだくさんなのだ。』 『へえ、そうなんだ。こんな山の中の道の駅に車が溢れるなんて、地元じゃかなり有名なんだろうなあ。それにしても相棒、ここをデポ地にしなくてよかったな。これじゃあ車を停めるのに相当難儀していたかもしれないぞ。』 パンフレット“神山町イベント情報”。2月~5月下旬まで、花や自然にまつわるイベントが目白押し。時計の針は午後一時半を回っている。この後我々は再び山を越えて、吉野川市に戻らなければならないのである。大渋滞をすり抜け、国道を西に向かう。 『ところで相棒、地図によるとこの先に“雨乞いの滝”っていうのがあるんだけど、寄っていかないの?国道からちょっと入ったところだけど。』 確かに雨乞いの滝は“日本の滝百選”にも選ばれた名瀑だ。その取り付き地点は左に迂回する旧国道に入ってすぐの所にあるのだが、 『残念ながら、今回はパスしよう。実は前にクルマで行った事があるのだが、滝に至るまでが大変なのだ。長い長い階段をヒイヒイ言って登らなきゃならん。これが結構長距離でな。とてもオマエを担いで行ける様な場所じゃないのだ。』 『そうか、それは残念。』 『オマエには悪いが、また次の機会に・・・いや、待てよ?』 私は旧道に向けてハンドルを切った。 『あれ、やっぱり行くのか、雨乞いの滝?』 『いや、そうじゃなくて、せっかくだからこっちの旧道を走ろう。バイパス工事で出来た新国道より、ずっと風情がある。』 私はカメラを取り出して、あれこれと構図に凝り始めたのだが・・・ 『うわっ、バッテリーが切れた!』 『ありゃりゃ、どうすんだよ、この先。まだまだ行程の半分しか進んでないのに。』 『仕方無い、騙し騙し撮ろう。バッテリーを庇いながら、あと何枚かはシャッターを押せるだろう。』 実は今回、妻に内緒で新品のデジタル一眼を月賦で購入していたのである。嬉しさのあまり出発前からいじりまくっていた為、想像以上にバッテリーを消耗していたのだろう。 ![]() ![]() ![]() 提唱、それに乗っかった県の観光課が≪邪馬台国は阿波だった≫という キャッチコピーをでかでかと乗せたPRポスターを製作。ところが『あくまで 一つの説に過ぎず、断定的なコピーはまずい』というクレームが殺到、回収 騒ぎになったのである。ちなみに雨乞いの滝周辺は、卑弥呼の居城があった とされるエリア。 ![]() いいかげんなのは、バッテリーを庇いながらの一発勝負だったからです(言い訳)。 再び国道に戻り、県道43号線を北上。脇を大型観光バスが2台、追い越していく。この先にある四国八十八か所の12番札所、焼山寺へ向かうお遍路さんご一行だろう。ところが道幅はいきなり狭くなり、目の前にこれまでにない急坂が現れた。 『うわあ、なんだこの坂は!それにさっきのバスは何処へ消えたのだ。』 『相棒、あっちにバスの駐車場がある。お遍路さんはここから歩いて行くのかな。』 『きっとそうだろう。しかしとても乗って登れるような坂じゃない。押そう。』 『おいおい、今から押してたら、日が暮れる前にデポ地に戻れるのか?』 そんな事言われても、乗れないのである。徳島山間部の札所周辺の急坂は“遍路ころがし”と呼ばれる程だが、これではまるで“自転車ころがし”ではないか。 ![]() 過保護な現在ではとても考えられない。 ゼイゼイと息を切らしながら、跨っては押し、押しては跨る。その繰り返しである。しかし押せども押せども目の前には≪焼山寺まであと○キロ≫という看板が幾つも現れるではないか。 『くっそー、いったい焼山寺の縄張りはどこまで続いているのだ!』 『いや、縄張りってわけじゃないと思うけど・・・』 ![]() 数少ない民家、林道へ続く脇道、幾つかの廃屋を通り過ぎる。大して見晴しの良くない坂の大半を押し登り、ようやくピークに辿り着いたのが午後3時50分。ここから先、再び吉野川市である。≪焼野峠 標高約600m≫と記された峠標がポツリと立っているだけで、なんとも殺風景。 ![]() 『持ってきた地図には載って無いけど、焼野峠っていうのか。しかし標高“約”600メートルっていうアバウトさは何なんだ。』 『それより相棒、峠標に打ち付けられてるポスター、あれは一体・・・』 ![]() 確かに妙なポスターが、木製の立て看板ごと峠標に打ちつけられている。股旅姿の壮年男性に添えられたコピーは“母恋しぐれ笠 作詞・作曲・唄 村田芳久”。 『うーん、これはきっと、この辺りを営業に来た売れない演歌歌手のポスターに違いない。しかしいくら営業とはいえ、ところ構わずポスターを貼るのは頂けないなあ。せっかくの峠標が大無しだ。』 ともあれ標高600mといえば、激坂で知られるすぐ西隣の経の坂(710m)と大して変わらない。キツイと感じたのも無理は無いが、この後には最後のピーク、掘割峠が待っている。のんびりくつろいでいる時間は無く、早々に出発する。 手がしびれる程の長い下り坂を終えると、山に囲まれた美郷(みさと)集落に着いた。2004年に周辺各町と共に吉野川市に合併する前は、美郷村だったエリアである。ここから旧川島町を繋ぐ掘割刺峠のルートは桜の名所で知られ、その愛称はズバリ≪チェリーロードライン≫。本日三つ目の峠である。集落の中心には立派な案内看板が立てらているが、その下にはまたしても≪母恋しぐれ笠≫のポスターが。 『うーん、なかなかしつこいぞ。ちょっとやり過ぎじゃないか。』 『・・・あれ?けど相棒、妙じゃないか?≪チェリーロードライン≫の案内板に“日本さくらの会 会員 村田芳久” って書いてるぞ』 『むむむ、ひょっとしたらこの歌手、地元徳島出身なのかもしれんな。』 静かな山里、美郷集落を後にして登坂再開。大した勾配では無いが、流石に3つ目の峠となると足がヘロヘロになっている。 『・・・いかん、やっぱり押す。』 『この程度の坂で?もっと根性見せろよ、もうちょっとなのに。』 『・・・根性も足も売り切れじゃあ!』 標高僅か330m、掘割峠に着いたのは午後4時半を回る頃だった。だだっ広い峠を越えるとすぐの所に、またまた妙な看板が立っている。書かれているのは≪私設自然公園 村田芳久 平成8年8月8日≫の文字。 『はああ、これはひょっとして・・・』 人並みすぐれて鈍い私だが、ここに至ってようやく気付いたのだった。 『相棒、これはどういう事なんだ?』 『思い出したぞ。このチェリーロードラインの桜の木だけどな、地元のある人物が私財を投げ打って植樹したって聞いた事がある。この村田芳久って人が、そうに違いない。なんでも植樹の為に路肩の整備まで自費で行ったとか。』 『じゃあ、今まで立ってた標識や峠標もひょっとして・・・』 『村田氏が個人的に建てたものかもしれないな。だとすると、自分のポスターを貼ろうがどうしようが勝手という事だ。』 『なんだ、村田芳久さんって、いい人じゃんか。相棒、さっきまで何て言ってたっけ?』 『・・・売れない演歌歌手。』 村田氏が植えたであろう桜のトンネルを下ると、突然視界が開けて、眼下に旧川島町を見下ろす絶景ポイントが現れた。クルマも数台停められるスペースに、自動販売機も置かれてある。立派な展望スペースである。 ![]() 『うはあ、これは見事だ!今までの疲れが吹き飛ぶなあ。』 『今日一日のご褒美だね。おっと相棒、アレを見ろよ。』 ツヨシの指す方、展望台の隅に、これまた立派な看板が建てたれている。 ≪この展望台を始め、桜街道は長い歳月と私財を投じて開発したのです。 日本さくらの会会員 村田芳久 TEL 0883-○○―○○○○≫ もう間違いない。やはりあの演歌歌手は、この見事な桜を植えたご本人だったのである。 『それはともかく、“花恋しぐれ笠”はいったい何だったんだ。』 『うーむ、きっと村田氏が個人的に発売したCDなのだろう。案外地元じゃヒットしてるかもしれん。』 『・・・・』 絶景に見とれる我々の脇に、カワサキの大型二輪の青年が停車した。聞けば地元在住で、ちょくちょくこの峠を走りに来るとの事。 『ここから少し先に、輪を掛けて見事な景色を見られるポイントがありますよ。』 彼に案内されて少し下ると、吉野川河口まで見渡す広大なロケーションを望むカーブに着いた。電池を手のひらで温めて、最後の写真を撮る。バッテリーは最早限界であった。 ![]() 青年にお礼を言い、夕闇が近付く掘割峠を下る。後はデポ地の鴨の湯に戻り、ひと風呂浴びて帰るだけである。 『かなりしんどかったけど、今回は充実したサイクリングだったなあ。桜も峠も、もうお腹一杯だ。』 『あはは、そんな事言いながら、来年も桜を見に行くんだろ?』 『そりゃそうだよ、日本人なんだから。それと・・・』 『・・・ん?』 『いや、何でもない。』 (次回、カーステのBGMは村田氏の母恋しぐれ笠に決定!)と言おうとしたのだが、やっぱり黙っておく事にしよう。 (この項、終り) 付記: 帰宅後、村田芳久氏についての記事を検索しましたので、ご一読下さい。 桜街道の夢かなう 34年間で2000本植樹 毎春、満開の桜が咲き誇り「チェリー・ロードライン」の愛称で親しま れている徳島県の県道・神山川島線を「日本一の桜街道」にしようと34 年間、沿線に2千本以上の苗木を植え続けた吉野川市美郷古土地の旅館 経営村田芳久さん(69)が、今年を最後に植樹活動を終えた。 全線への植樹が終わり、全国に知られる桜名所になったためで、村田さ んは「長年の夢がかなった」と喜んでいる。 村田さんが植樹を始めたのは、県道が旧川島町から旧美郷村(いずれも 現吉野川市)まで改良された1972(昭和47)年。県道工事で付近にあっ たヤマザクラが減少し「生まれ育った故郷を桜で飾りたい」と、自宅前 に1本の桜を植えたのがきっかけだった。 同市川島町から神山町に至る約28キロを歩いて植樹ポイントを調査して 山林所有者の了解を得た上で、ソメイヨシノを中心に毎年70-120本を道 路の両側に植えていった。 年間数十万円の費用はすべて村田さん自身の負担。台風で道が崩れて苗 木が流されたり、心ない人の盗掘被害に遭ったりしながらも、村田さん の「日本一の桜街道にしたい」という情熱が冷めることはなかった。 さまざまな苦難を乗り越え、今では桜が大きく成長。毎年4月上旬には、 県道沿線はピンクのトンネルへと姿を変え、ドライバーの目を楽しませ ている。全国的にも「チェリー・ロードライン」の名前が知られるよう になり、東北や九州など全国から訪れる行楽の家族連れや団体のバスツ アー客も増えている。 15年ほど前から自宅前に「東山さくらの里」と名付けた休憩所の整備を 進めており、間もなく完成。最後の仕上げとして、自宅周辺に110本の苗 木も植えた。 行楽客に桜を満喫してもらうため、これからも夏場の下草刈りやごみ拾 いなどは続けるという村田さんは「訪れる人の喜ぶ顔が見たくて、1年、 また1年と植樹を続けてきた。苦労と感じたことは全くない」と話し、 今年も桜が満開になる日を心待ちにしている。【徳島新聞 11日】 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120413-00000273-mailo-l36 ところで・・・今回のサイクリング終了後に気付いたのですが、実は一か所、重要な見所を見落としていた事に気づき愕然としました!こちらへお越しの際にはぜひご案内したいとおもいますので、今回はナイショとさせていただきます。くっそー、なんで気付かなかったんだろう!! 2012年 04月 15日
お腹いっぱい、桜と峠(前編)
『なあ相棒、何でBGMが中島みゆきなの?毎度の事だけど、もっと明るい曲にしないか?』 後部荷室から聞こえるツヨシの文句。カーステに入れられたCDは、往年の名盤『あ・り・が・と・う』である。 『まあそう言うな。このアルバムには彼女の5本の指に入る名曲が幾つも収録されているのだ。中でも“時は流れて”は中島みゆきの最高傑作と言っていい・・・うーん、も一回聞こう。』 『リピートするのか!』 車は国道318号線を一路、徳島県吉野川市へと快走中。天気は快晴、絶好の花見日和である。 そうなのだ。お花見サイクリングをするには今日しか無いのである。だらだら続いた低温のおかげで、一週間前の日曜日には何処へ行っても桜は硬い蕾のままだった。ところがその数日後、いきなり気温が上昇、一気に満開になったのである。4月8日(日)、今日を逃せばおそらく桜は一週間持たないだろう。我々は大慌てで飛び出したのだった。 今回のサイクリング、徳島県吉野川市(旧鴨島町・旧川島町)と神山町を結ぶ二つの峠道を、輪を描く様に走ってデポ地に戻るというコースである。両エリアは結構な高さの山で遮られており、それらを繋ぐ峠道の桜を満喫しようという魂胆だ。 ![]() 『で、どこに車を停めておくの?』 『問題はそこなんだよなあ。当然、吉野川市側にデポするべきなんだけど、生憎と一日中車を停めて置けそうな場所が無い。神山町まで行けば、立派な道の駅があるんだ。おまけにそこは温泉付きだから、サイクリングの後に汗も流せて一石二鳥。だけど、これから走る峠を先に車で通るのは嫌だろう?』 『それでわざわざ遠回りして、徳島市方面に向かっているのか・・・あっ!相棒、あの看板を見ろよ!』 ツヨシの声に振り返ると、国道脇に“市営鴨島温泉”の案内看板があるではないか! 『それだ!デポ地、決定!』 『なんちゅういいかげんな計画・・・』 ![]() 市営鴨島温泉・鴨の湯は国道の南を走る旧道沿いにあった。営業時間前でガラ空きの駐車場に車を停める。勿論サイクリング終了後、ひと風呂浴びるつもりである。 まずは梨ノ峠を越える県道31号線の取り付きを探す。持参した地図は書店で買った十万分の一の道路地図本からページを切り取ってきたもので、県道を走るだけだからこれで十分と思っていたのだが・・・峠の取り付きを見つけるのに右往左往。結局起点に付いたのは10時45分となった。 ![]() 15分以上のロスタイム。目指す梨ノ峠は正面の山の上。 『もっと早く家を出ればよかったのに。』 『そうしたかったのはやまやまだが、今日は朝から自治会の一斉清掃という行事があって、仕方なかったのだ。そんな事より見てみろ、この桜のトンネルを。どうだ、来て良かっただろう?』 『うん、見事に満開だなあ。こりゃ、確かにお花見サイクリングは今日しか無いね。来週に伸ばしてたら散ってしまってるだろうなあ。』 ツヨシの満足そうな声を聞き、私も内心嬉しかった。今回の峠越えコース、本来は完成したばかりのパスハンターの方がふさわしいのだが、長らく跨っていないツヨシのストレスを発散させてやりたかった事もあり、あえて彼の出番を設けたのである。 ![]() ![]() 沿道の桜の幹には≪鴨島ライオンズクラブ≫のプレートが付けられている。カーブに設けられている停車スペースで、バーベキューセットを広げた花見グループもいる。その上から、桜の花びらが散っている。ロケーションは決してよくないが、勾配もさして厳しくも無い。桜のトンネルを気持ち良く登り続けると、ようやく視界が開け、眼下に旧鴨島町を見下ろす撮影ポイントに到達。今日一番の絶景をバックに記念撮影。 ![]() ![]() その後もえっちらおっちら登り、峠に付いたのは11時40分。概ね一時間の登りである。 標高430メートルの梨ノ峠は切通しで、特に見るべき物は無い。脇に建つ記念碑によれば、このルートは昭和40年代に陸上自衛隊の手により結ばれたもので、情緒や趣、歴史といったものとは無縁の峠である。しかし“麻植郡鴨島町ならびに名西群神山町両町民多年の宿願”(石碑より)であったこの峠道は、他所者の私などには計り知れない価値があるのだろう。町境の看板の下には≪神山の峠道 阿川‐峠19 梨の峠≫と書かれた真新しい木製の峠標が添えられており、いかにも峠の宝庫、神山町らしい。 ![]() ![]() 『さて、そろそろ下ろう。』 10分余りの休憩後、再びサドルに跨る。峠の向こうは神山町である。坂道を少し下ると視界が開け、見えてきたのは斜面にへばりつく様な民家と見事な梅林。 ![]() 『思い出した。桜で頭が一杯だったけど、そういえばこの先の阿野地区は県下随一の梅の見所だ。』 『梅かあ・・・桜が満開だから、梅はもう終わってるんじゃないか?』 ツヨシの言う通りで、よく見れば確かに大方の花は散っている。桜と梅の両方を同時に愛でるといいう贅沢は叶わないのだろう。 更に坂を下ると、道幅は次第と細くなっていく。広石谷川の渓谷沿いの杉林を抜ける薄暗い道は、峠手前の吉野川市側とは違った趣があって面白い。しかしそう感じるのは我々がこの道を下っているからであって、逆コースだとかなり苦しい登り坂だろう。 ![]() ![]() ひとしきり下ると再び視界は開け、坂の下に大きな神社や学校が見えてきた。神山町は戦後、五つの村が合併してできた町だが、このあたりがその一つ、旧阿野村の中心部なのだろう。集落の一角には立派な『阿川梅の里観光案内図』が設けられている。その脇に貼られた“阿川の梅まつり”のポスターによれば、イベント期間は2月26日~3月20日。 ![]() ![]() ![]() ![]() 『やっぱり梅にはちょっと遅かったんだな。ところで相棒、お昼はどうするの?』 『うむ。とにかく坂を下って国道に出よう。もたもたしてると、後半の峠をやっつける前に日が暮れてしまう。』 ![]() 県道を脇道にそれて登り坂をショートカットし、国道438号線に出る。程なくして沿道に現れたのは、ちょっとレトロなデザインのカフェレストラン≪栗カフェ≫。 ![]() 裏手の駐車場脇にツヨシを停め、鍵を掛ける。 『一年ほど前に来た事があってな。ここの手打ち蕎麦はかなりイケるのだ。』 『相棒、入口のドアに張り紙が・・・』 ![]() 張り紙に書かれているのは無情にも“そば 売り切れました 申しわけありません!”の一文であった。 (続く) 2012年 03月 25日
ガード取り付け金具 “ヨシダシステムズ”(後編)
(1)フロントガード ![]() ![]() 日を改めて行う予定。ステンレス製で、全て友人Aの手によるもの。 ![]() ![]() 溶接固定してある。 ![]() いるのがポイント。 ![]() 固定されている。ブリッジ金具の前後に開けられた穴は、ガード着脱の際に 裏金具の固定ボルトの頭の逃げを作る為。 ![]() ![]() ![]() T『なるほどな。つまりガード固定金具をブリッジ状に浮かせる事で、スペーサーの役目を 持たせるって訳だな。』 J『うむ。これでガードクリアランスの問題が解決するだけでなく、ガードに無用な穴を 空ける必要が無くなるという、一石二鳥のアイデアなのだ。』 T『苦肉の策とも言えなくもないけど・・・』 J『単なるスペーサーを入れるだけでは、どうにも我慢ならなかったのだ。一応、これで 大義名分が付く。しかしそれだけじゃないぞ。更にもう一つのメリットがある。』 J『まだあるの?』 J『パスハンではお馴染みのフロントキャリアを付けないスタイルの場合、どうしてもガード 前方の固定が弱くなる。結果、振動によって走行中にガード前端がブレる現象が 起き易い。ブリッジ金具先端の固定部がードステイの役割を果たすから、その弊害の 緩和を少しでも望めるという訳だな。どや!!一石三鳥のアイデアだろう?!』 T『ちょっとこじつけの感がするけど・・・・』 J『さて、お次はリアに行ってみよう!』 (2)リアガード・上ブリッジ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ガードを固定する。 ![]() ![]() T『前後とも同じ仕組みだな。ところでなんでRは一点止めにしたの?フロントは2点止め なのに。・・・あ、そうか。サドルバッグサポーターがあるからだな。』 J『それもある。が、実はそれだけじゃない。Rをあえて2点止めにしなかったのには、別の 理由がある。ヨシダシステムズ最大のアイデアとは、Rガードの下ブリッジ固定方法 なのだが、それと密接に関係しているのだ。』 T『話がどんどん大げさになってきてるぞー。』 (3)リアガード・下ブリッジ J『BS式の二つ目の欠点というのがここなのだ。オリジナルではクリップ状の金具に ガード先端をスライドさせて挟み込む訳だが、ここはまともに泥水を被る場所だ。 どうしても砂を噛み込むから、ガード先端が痛むし、ガードの取り付けも結構厄介 なんだよなあ。』 ![]() ![]() T『そういや確かに、ガードの着脱の度にジャリジャリいってたなあ。』 J『それに金具を固定しているボルトの頭が、ここでも邪魔になる。金具自体に逃げの為の くぼみを備えているけど、やっぱりキツイからガード中央部に溝を切らなくてはならない。 当然ガードの強度も落ちる。』 T『なるほど。で、その対処方法は?』 ![]() ![]() ![]() ![]() いるだけの、極めてシンプルな固定方法。 T『ものすごくシンプルな固定方法だなあ。けど、こんなんで大丈夫?穴にボルトの頭を はめ込んでるだけだろ?』 J『ブリッジ金具の穴は、ボルトの頭の大きさに合わせてぴったり合う様にしてある。更に ガードを固定する際には、若干フレーム側にステイを押しこむ方向に力が働くから、 下ブリッジの固定部分はそう簡単には外れないのだ。』 ![]() T『なるほど、考えたな。』 J『実は上ブリッジを2点止めにしなかったのはこの為なんだ。2点止めにすると、そこで しっかり固定されるから、この応力は働かなくなる。』 T『面白いアイデアではあるけど、あくまで“ガードクリアランスが余って困ってる人”向け の様な気が・・・』 J『それを言っちゃあいけない。けど、これは色々と応用が効くアイデアとは思うよ、ウン。』 T『最後は自画自賛でまとめたな。』 (この項、終り) 2012年 03月 25日
ガード取り付け金具 “ヨシダシステムズ”(前篇)
J『ようやく完成したパスハンターだが、マッドガード取り付けに際して大きな壁に ブチ当たったのであった。ガードとタイヤのクリアランスに、重大な問題が発生 したのである。』 T『なんで?肩下寸法とか、キチンと打ち合わせできてたんだろ?』 J『ひとえに私の未熟さというか甘さというか、いいかげんさが露呈したのだな。 本題に入る前に、この自転車が想定している輪行方法について説明しておこう。 オマエと違って、フォークは抜かない。前後ガードを外しての縦型、って分類に なるのかな?』 シクロツーリストVol.5より。GAMIさんのスポルティーフの輪行スタイル。要するにコレです。ただしブレーキアウターが上出しなので、ステムを抜く必要はある。T『フムフム。で?何が問題なの?』 J『このパスハン、設計段階では“普段は舗装路の峠を攻めるのでアルプスの ハチサンタイヤを装着、ダートを攻めるときは太めのタイヤに替える”という方針 だったんだ。』 T『アルプスのハチサンって・・・俺もこの間まで履いてたけど、実質シブイチしか ないって太さのタイヤだろ?太めのタイヤってのは?』 J『太めって言っても、せいぜい本物のハチサン程度。ニブイチを履く気までは 無かった。ところがタイヤの規格に疎い私は、太めのタイヤって事で、オマエの ホイールを工房に持ち込んで採寸してもらったんだ。』 T『グランボアの650Aタイヤだな。』 J『実はそれ、パナレーサーのコルデラヴィと同じ規格でな、しっかり1・1/2、 想定よりも随分と太かったんじゃあ!』 ![]() 同じ規格という事は謳われていなかったのだが、後日追記されていた。 知ってたら買わなかったぞ。(誰かクレーム付けたのかな?) T『相棒、ちょっと待ってくれ。そもそも太さの違うタイヤを使い分けるってのは、あまり よくないって聞くぞ。当然ガードのクリアランスが違ってくるけど、どう対処する気で いたんだ?』 J『そこなんだよ、私が甘かったのは。設計では太めのタイヤを想定しておいて、細い タイヤを履くときにはスペーサーをガードに噛ませて対応しようかな、って考えて たんだな。』 T『じゃあ、いいじゃん。まあ“太いタイヤ”が、ちょっと太過ぎたってことだろ? スペーサーを少し厚くするだけで、何も問題ないと思うが。』 J『ところがそういう訳にはいけなくなった。フレームが出来上がってから色々考えて たんだが・・・・・気が変わった。』 T『はあ?』 J『よくよく考えたらこのパスハンター、走る峠道って9割がた舗装路なんだよな。 ダートなんて、滅多に行かない。そんな事考えてたら、太いタイヤなんていらない んじゃないかって。アルプスのタイヤを履かせたまま、ずっとそのままでいいだろう、 って。』 T『おいおい!そんな事言ったら、ガードのクリアランスが滅茶苦茶になるじゃないか!』 J『その通り。ニブイチのタイヤを基準に設計したもんだから、アルプスのハチサンだと ガードとタイヤの間はガバガバだ。パスハンは泥詰りを避ける為に、ガードとタイヤの クリアランスは広めに取るって言うけど、いくらなんでも広過ぎる。勿論スペーサーを 噛ませば解消するが、設計ミスを認める様な事はしたくない。そもそも無駄な スペーサーだし。』 T『・・・・・せっかくあ~るさんに設計のお手伝いをして貰ったのに、そりゃ失礼だろう。』 J『あ~るさん、本当にゴメンナサイ!勿論ビルダーの日下さんは図面に基づいて完璧に 工作してくれてるから、悪いのは全て私の方です。』 T『で?どうすんの?』 ![]() 画像は昔のサイスポより。イメージだけど、まあこんな感じになってしまった。 このマシンは必然性があっての事だろうけれど、私のパスハンにはこれ程の クリアランスはまず必要無い。 J『そこから苦悶が始まったのだよ。さあ困った。どうするべきか、と悩みに悩んだ。』 T『自業自得だろう。』 J『で、悩んだ挙句に開発したガード取り付け方法、それが通称“ヨシダシステムズ” というものだ。』 J『・・・また大仰な名前を付けたなあ。』 T『スマン、大げさすぎた。要するに、オマエにも採用しているBSのガード取り付け方法の アレンジなんだけどな。苦肉の策っていったらそれまでなんだけど、実はコレ、BS式の 二つの欠点を補う方法でもあるのだ。』 T『欠点?二つ?』 J『うむ。まず一つ目。ガード取り付け金具を隠し止め台座に固定する訳だが、その際 ボルトの頭を逃がす為にはガードに穴を空けなければならない。この穴、ガード 装着時には金具で隠れているけど、僅かに隙間が残るのだ。その隙間から、僅かとは 言え泥水が噴き出す事になるのだな。』 ![]() ![]() ![]() 廃車のユーラアシアから取り外し、質実剛健号に採用したBS式ガード取り付け金具 (上ブリッジ)。ガード中央に、隠し止めボルトの逃げの為に大きな穴を空けなくては いけない。 T『泥水ったって、ほんの少しだろ?そう気にする程の物じゃあ・・・』 J『確かにな。しかし本来、泥水を遮断する為のガードにそんな無用の穴は開けたくない。 それに半円ガードのオマエと違い、今回のパスハンには亀甲タイプを付けるからな。 凹凸があるので、金具との隙間はより大きくなるはずだ。噴き出す泥水の量だって、 増える可能性が高い。』 T『ちょっと神経質な気はするけど、理屈は分かった。要するにガードに極力穴を開けたく ないって事だな。で、欠点の二つ目って言うのは?』 J『それは後で説明しよう。ずいぶん前振りが長くなったけど、そろそろ本題に入ろうか。』 (後編に続く・・・のですが、後編はチャッチャと説明します・笑) ![]() あわせての事。 2012年 03月 17日
大山鳴動号、発進!!
ようやく完成したVIVALOパスハンターを前にして感慨深げなジェームス吉田(J)と、自身の出番が減る事を気にしてちょっぴり斜に構えている質実剛健号(通称ツヨシ・T)の会話。 ![]() J『とうとう完成したぞ。パスハンター・大山鳴動号。』 T『フレームが出来たのが去年の夏だろ?それにシクロツーリストVol.4の取材の時には もう組み上げてたのに、なんでお披露目までにこんなに時間がかかったんだ?』 J『アレはとりあえず走る為にやむを得ず組んだだけで、一部本意で無い部分もあったの だよ。まあプレ・デビューってヤツで。それに去年の秋は仕事が滅茶苦茶忙しかったから なあ。』 T『パッと見た感じじゃ、ほとんど変わってないと思うんだけど。』 J『ふっふっふ。そうでもないんだな、これが。もっとも細かいこだわりのおかげで随分 完成が遅れてしまったが。遅れの原因は三つあるんだけど、それは順を追って説明 しよう。』 T『相棒が勿体ぶるのにはもう慣れたぞ。』 J『その前に、お礼を言わなきゃいけない事がある。今回のオーダーに際してスケルトンに 関して親身になって相談して下さったあ~るさん、物凄く貴重なプロダイクランクを提供 して頂いた港町さん、どうしても付けたかった栄のプラットフォームペダルを譲って 下さったGAMIさん、面倒なワンオフパーツの製作を引き受けてくれた友人A君、本当に ありがとうございました!皆さんのご好意無くして、この自転車の完成はありません でした。重ねてお礼申し上げます!』 T『フレームビルダーの日下さんとコンフォート□(スペース)のSオーナーには・・・』 J『実車を神戸に持って行って、直接お礼を言わせて貰います!』 ![]() 一部仮付けのパーツが混在する。 ![]() タイヤにサドルバッグのみの軽装備。少々のダートや担ぎ・藪こぎも視野に入れ、 極力シンプル・軽量な車体となった。電装は小型バッテリーランプのみとし、 ポンプも落下を嫌ってバッグに入れる為、直付けペグは付けていない。 直進安定性を重視したスケルトンで、71度に寝かせたフォークのおかげで クリップがガードに接触する事は無い。細かい部分は更に煮詰める余地があるが、 それはまたおいおい。 ![]() 他人様のステッカーを見て一目惚れし、彫金で試作(現在は受注生産)。 一般的なフィレット加工のラグレスフレームと対局的な、シンプルなヘッド周り。ロウがほとんど盛られていない接合部は往年のベニックスを思わせるが、パイプ内側にインナーラグとも言うべき補強を入れてある。この辺りの技術は流石VIVALO。![]() ラフな使用下では少々不安を感じる為。少々無骨なアウターカップは、なんと日下 ビルダーの手作りのもの。 ![]() 前後セット。渋さよりも正に“マイクロライト(小さく軽く)”を求めた結果。 ボスフリーはニューウィナー・・・ではなく、防水性に勝る(らしい)ウィナー・プロの 14~24。Rスプロケットは意地でも5枚。 ![]() クランクは泣く子も黙る、鏡面仕上げのプロダイ6。 ![]() ぴったりフィット。トウクリップはミカシマのディープタイプ。 ![]() 合わせて、シルクのお下がりの中古である。Fバッグを付けない為、ハンドルバーは 幅が狭くてもかまわない。軽量化の一助にもなる上、ハンドル操作がクイックに。 ステム脇に携えたバッテリーランプはジェントス・閃。どうしてもこの位置に取り付け たかった為、ホルダーを取り付けるステンレスブラケットをワンオフで製作。 ![]() パールステムのクランプナットから延長してある。この設計に時間を取られた事が 完成の遅れた原因その一。 ![]() となるこの場所がどうしても気に入らなかったのである。ハンドルバー上部は スッキリさせたいし、せっかくのフェール部の刻印が隠れてしまう。 ![]() つかの間、立ちこぎをする際にライトが膝に接触する事が判明し、あえなく却下。 散々悩んだ挙句、上記のブラケット製作に至るのであった。 ![]() 工具を減らす為のアイデアはシルクランドナーからの流用だが、結局他の部分で 5mmアーレンキーを使わなければならないので、ちょっとやり過ぎだったかも。 下りでシートを下げる為にクイックシートピンを採用するパスハンが多いが、 シンプルな美観を損ねるのと、ピラーの摩耗が進むのを嫌って却下。そもそも そんな面倒くさい事、ズボラな私はやらない。 ![]() クラッシックパーツと呼べるギリギリの時代の製品で、サンツアーのディレーラーと デザインの相性は良い。マイクロライト時代のトップマウントWレバーは流石に 頂けないので、こちらを採用。 ![]() なぜか入手困難な本所H1C(亀甲ライン入り)。ラフな使い方をするパスハンには、 硬度が高く傷が付きにくい亀甲ガードがベストチョイスと考える。このガードの入手に 手間取ったのが、完成の遅れた理由その2。ラインの入っていないH31タイプよりも メリハリが付く上、細目のタイヤを装着した時にスリムな印象を与える。ラインが入る 事により、ねじれ強度も格段にアップ。 ![]() 国産品。自ら発光するライトの方が安全だが、山道のナイトランはまずやらない (やってはいけない)という戒めも込めて。 ![]() 付けたかったのである。いかにもマスプロ車御用達だったこのピラーが大嫌い だった私は、かつてシルクからもすぐに取り外した経験があるのだが、そんな 偏見を完膚なきまでに拭い去ったのがCHSさんのブログ。このピラーに敬意を 表し、重量増には目をつむろう。サドルはブルックス・チームプロ。シルクに 付けていた80年製のお古で、通称“鋼鉄のサドル”。復活に向けて現在、 撫でまわしている。 ![]() 様式美よりも軽量化を優先した為、あえてスモールフランジ。 ![]() ヤフオクでかなりの高額出費。ウカイスリムも候補に挙がったが、 これ以上に入手不可能に近い。 T『絶番国産パーツのオンパレードだなあ・・・あれ?完成が遅れた原因の三つ目は?』 J『それについては、次回詳しく説明する事にしよう。少々長くなるのでな。』 T『へいへい。ところで元々、もっと渋い色にする予定じゃなかったっけ?シャンパンゴールド と言うか、枯れた薄緑と言うか。随分と派手な緑色になったなあ。』 J『うむ。確かにそうだったんだけど、つい気まぐれでな。若々しい雰囲気を出すのも悪くない かな、って思って。イメージは春先の若竹ってところか。』 T『乗り手はしっかりおっさんだけどね。まあとにかく、これで俺の弟分ができたって 事だな。』 J『・・・いや、それがな。』 T『ん?』 J『弟のつもりだったんだけど、この明るい色のおかげでイメージが変わった。 弟じゃなくって、妹だ。オマエの妹分。』 T『ななななな、何だって!!』 J『大山鳴動号、鳴(メイ)ちゃんと呼んでやってくれ。』 T『なに~っ!!!』 (続く)
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